美しく澄んだ本部の海に、一艘の小舟が静かに浮かぶ。かつてこの海には、自然と対話し、網一つで家族を養い続けた「海人(うみんちゅ)」たちの営みがあった。しかし、その営みも時代の潮流とともに失われつつある。

流通の変化によって市場や食卓から姿を消した思い出の味と記憶、そして今も潜り続ける老漁師の姿から、沖縄食文化の豊かさと積み重ねられてきた時間を見つめる。

追い込み漁師の祖父に憧れて

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96歳まで現役で漁師を続けた、本部の伝説的海人・仲村善栄さんは「ひとり追い込み漁」の名人だった。その孫・仲村茂樹さんは、幼少期に祖父が見せてくれた背中を今も鮮明に覚えている。

「(漁1本で)子どもを10人も育てたんだよって、ちっちゃい孫ながら自慢げに聞かされてて。甘え切れる人でありながら、かっこいいというか憧れの人」

現在、遊漁船業を営んでいる茂樹さんは20歳の頃、祖父に憧れて追い込み漁師になることを夢見たが、叶わなかった。その背景には、沖縄の返還以降に押し寄せた、急激な近代化と流通構造の変化があった。

「家業の追い込み漁業の景気というか状況を見ると、もう大暴落してて、10分の1ぐらいにまで落ちていたんですよ。(月収)70万円あったのが7万円。サーモンとかサバ、サンマ、肉にしろ何にしろ、ありとあらゆる食材、手に入らないものがないぐらい大手のスーパーがどんどんできて、食生活が一気に変わった。それで、こうして網で獲れたものは値段が大暴落したんですよ」

「ひとり追い込み漁」で潜り続ける‟かっちゃん”

流通や食生活の変化から、追い込み漁がほとんど行われなくなった今、茂樹さんにはどうしてももう一度食べたい魚があった。

「ヒキグヮー」、和名はキホシスズメダイ。

体長10センチに満たないこの小魚は、かつて沖縄の沿岸部でごく身近に獲れ、庶民の食卓に並んでいた。

「唐揚げにするとすごく美味しくて。それをちっちゃい頃からよく食べていて。今もまだ味を覚えてます。もうだいぶ食べていないですね」(茂樹さん)

市場に出回らなくなった幻の味を求め、茂樹さんはある人物のもとを訪ねた。今もひとり追い込み漁を続ける人物・山城善勝さん、82歳。あだ名は‟かっちゃん”。

善勝さんの追い込み漁歴は50年異常になるという。その原体験は戦後、焼け野原となった沖縄にさかのぼる。農地の多くが米軍に接収され、海で獲れる食べ物は貴重な命綱で、30歳の頃から独学でひとり追い込み漁を始め、魚との生身のやりとりに魅了されていったという。

広大な海で魚の群れの動きを読み、たった一人で網へと追い込む作業は、強靭な体力と長年の勘が必要とされる。追い込み漁で生計を立てるのが難しいこの時代に、それでもなぜ続けているのかと問うと、善勝さんは迷いなく言った。

「こんないい仕事ないからさ」

甦る「おじいの記憶」と、次世代へ託す問い

茂樹さんの思い出の味・ヒキグヮーを狙って海へ出ると、30分ほど航行したところで背景の景色を頼りに、善勝さんが船をとめた。陸地の景色から正確な位置を割り出す「山立て」という手法でポイントを見定めて潜ると、そこでドンピシャでヒキグヮーの群れを発見。善勝さんが魚の通り道に手際よく網を仕掛けていく。

たくさんのヒキグヮーが善勝さんの網に吸い込まれていき、1時間足らずで50匹ほどのヒキグヮーが獲れた。

港に戻ると早速、思い出のヒキグヮーを調理。茂樹さんと同じく、子どもの頃に食べたヒキグヮーの味が忘れられないという料理人の満名匠吾さんが駆けつけた。

「食べたいねって言ってももうないわけよ。同世代でわかる人が少ないから、伝えたくても分かり合えない。はぁや?ってなる」

まずは素揚げ。香ばしい香りが港に広がる。一口食べた茂樹さんは「何年ぶり、何十年ぶり。美味しい!」と声を弾ませた。

サクッとした歯応えとともに口の中に広がる滋味深い旨味。それは単なる再現や懐かしさだけではなく、時間を超えて憧れた祖父の面影を連れてきた。

「食の味の記憶で、亡くなって長く経ったおじいの顔や匂いもバーっと鮮明に甦ってきて。こんなに美味しいものは、みんなに知ってもらわないとダメだと思うんですが、前は知っていたのになぜなくなってきたんだろうと。美味しいのになくなっている理由がどこかに隠れていると思うので、それをしっかり僕らの世代で考えて、残していけたらと思いますね」

ひと口の魚の味わいがもたらす記憶。時の経過とともに失われたものはたくさんあるかもしれない。しかし同時に、記憶をひも解いていく上で確かに感じた豊かさを、どのように残し、どのように未来につなげていくのか。そんな気づきと問いも投げかけられているのではないだろうか。

沖縄テレビ
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