石川県の能登半島には、土台と柱がずれた家に住み続ける人がいます。
2024年1月1日午後4時10分に発生した「能登半島地震」は死者743人(うち災害関連死が515人)と、甚大な被害をもたらしました。
奥能登地域に比べると“全壊”の住宅が少なく、“半壊”や“一部損壊”の住宅が多かった七尾市は、被害が見えづらく、支援の手が少ないという問題がありました。
能登半島地震から2年半。被災地が直面する新たな課題を取材しました。
■行政からの支援ほとんど無く…民間ボランティアが頼り
「能登の玄関口」とも呼ばれる七尾市。“海の温泉”として全国的に有名な「和倉温泉」の復旧作業が着実に進んでいます。
一方、2年半前の七尾市の郊外の町では混乱した状態が続いていました。
神戸市の「被災地NGO恊働センター」は、地震発生翌日に被災地に入り、七尾市中島町小牧地区の集会所を借りて支援を始めました。
小牧地区には行政からの食料がほとんど届かず、1カ月以上断水が続いていました。
民間ボランティアに頼みの綱となっている状況に、「被災地NGO恊働センター」の増島智子さんは危機感を強く持ちながら活動していました。
【増島智子さん(2024年1月)】「過去の被災地でもこんなに食事が届いてないことはいままでなかった。食事を届けるとか毛布を届けるとかが命に直結するので。これ以上犠牲者を出さないようみんな必死で現場で頑張っている」
■「心のケアが大事なフェーズに」
あれから2年半。
当時、物資置き場だった寂しい空間は、地域の住民たちが集まる、賑やかな「マルシェ」の会場に変わりました。
避難生活がきっかけで亡くなる「災害関連死」は515人(4日時点)で、心に不調を抱える人も少なくありません。
そこで、「地域住民の交流」を活性化させようと、定期的に集会所でマルシェやお茶会などのイベントを開いているのです。
【増島智子さん】「仮設住宅に入ると天井が低くて真っ白な壁で、ライトがすぐ近くにあって眠れないお年寄りの方がいらっしゃったりとか、今まで畑してたけれど、それもできなくなって“生活不活発病”みたいな感じで認知が出てきたりとか。
『もう死んじゃいたいな』と話す方もいて、やっぱ心のケアっていうのがだんだんと重要になってくるフェーズになってます」
■知り合いがいない“仮設住宅の暮らし”
仮設住宅で暮らしている女性も、この場所がなければ孤独だったと感じています。
女性は、商店兼自宅を解体し、知り合いがいない仮設住宅で生活することになりました。
【仮設住宅で暮らす女性】「この奥さんも仮設住宅が隣同士です。近くにいてもなかなか、こういう機会がなかったらお友達もなかなかできない。元々、違う地域だもんで。
なんか『生きとるな』って感じします。言葉に尽くせないほどいろんなものを最初からここで貰った。生かさせていただいている感じやね。涙が出てきそう。本当に嬉しくて」
■修理して家に住み続ける人も
七尾市は被災した住宅のうち、全壊が537棟に対し、半壊が5081棟、一部損壊が11503棟と、奥能登地域に比べると全壊した住宅が少なめでした。(ことし2月28日時点)
家を解体して仮設住宅に移る人もいれば、「ふるさとへの愛着」や「金銭面の問題」などで、家を修理して住んでいる人もいます。
集会所の近くに住む男性は半壊した住宅を修理してそのまま住んでいますが、玄関前の柱と土台は大きくずれたままです。
【男性】「不安なことはないね。次に地震があったら潰れるだけだと思っとるから」
大規模半壊した家を修理して住む女性もいます。
【女性】「ツギハギの家に住んでます。父がやっぱどうしても自分の建てた家なので、柱が残っているから板を貼れば住めるんじゃないかと。
大型トラックが通ると揺れるので怖いですが、避難所みたいに他人と住まなくてよいので住みやすいです」
■“公費解体”の結果、復興が遅くなる?
全壊や半壊した住宅については、自治体が費用を負担する「公費解体」を申請することができます。
しかし、多くの住宅が公費で解体された結果、空き家がなくなり「働き手の住む場所がない」という問題が発生しているといいます。
新たに住む場所がなければ、復興は遠のいていきます。
さらに、復興が遅れているのは、地震発生当初、石川県の馳浩知事(当時)が「民間ボランティアの受け入れ自粛」を呼び掛けたことも大きいそうです。
厳しい道路事情や宿泊事情を考慮しての自粛要請でしたが、「結果的にボランティアの人手が足りないまま、ここまで来てしまった」と増島さんは話します。
増島さんもいつかは支援を終えて神戸に戻るときが来ます。
それまでに「地元の人たちが主体となって、集まる場を作ってほしい」と思っています。
■「友達の供養だと思って」自身も被災しながら炊き出し続ける
地震発生当初の町を助けたのは、民間ボランティアだけではありませんでした。
七尾市万行に住む平沼えいこさん(76)は、自身も被災しながら“ボランティア”を支えました。
ボランティアが宿泊できる場所が少ないという問題から、登山家の野口健さんが複数の自治体と連携して七尾市につくった「テント村」。
平沼さんはそこで、約2カ月間炊き出しを続けました。
【平沼えいこさん】「輪島朝市の友達から『明けましておめでとう』って電話があったんです。『また来週七尾で会おう』って言って。
その2時間後に地震があって、亡くなったんですよ。何もできなくって喪失感がありました。
その後、テント村が始まると知ったから、お味噌汁の鍋持って行ったんですよ。自治体の職員の方たちが5人いて、お話したら、『何か手伝ってくれないか』と言われて。『おばあちゃんできることなら何でもするよ』と。
ご飯だけしかできない。でもそれをやることで友達の供養だと思って」
テント村には、のべ約5000人のボランティアが宿泊し、1000世帯以上の被災者を支援したということです。
■七尾市長が明かす「行政の弱点」
七尾市の茶谷義隆市長は「行政だけでは支援が行き届かない」実情があると話します。
【七尾市・茶谷義隆市長】「割と行政は、平等に支援金をお渡しするとかは得意なのですが、本当に困ってる人がどの方か見て寄り添うことは非常にマンパワーも足りないし、難しい。
それをサポートしてくださっているのがボランティアの方だと思うので、しっかりと連携をしていきたい」
また、これからの課題は「経済を活性化させること」だということです。
【七尾市・茶谷義隆市長】「経済が回っていかないと能登はどんどん疲弊していく。七尾市は和倉温泉もあるので、市を早く元気にして、その元気を奥能登に届けたい」
七尾市は復興公営住宅の建設を進めていて、ことし8月に入居が始まる予定です。
しかし、申し込みが短期間で受付が平日のみだったことや、ペットを飼っている人は住めないなどの事情で、七尾を去ることを選んだ人もいます。
地震から2年半。復興への道のりはまだ半ばです。
(関西テレビ「newsランナー」2026年7月1日放送)
