土佐の小京都・中村と清流・四万十川を見守り続けて100年。四万十市のランドマークともいえる「赤鉄橋」が6月30日、完成から100年を迎えました。

【記念切手・模型 お披露目】
「3、2、1、どうぞ!」

6月30日にお披露目された通称「赤鉄橋」こと「四万十川橋」の完成100年を祝う模型と記念切手です。

四万十市の中村地区と具同地区を結ぶ「赤鉄橋」の完成は1926年6月30日。総工費は当時の金額で50万円でしたが、これは当時の町の予算の5倍以上にあたりました。

しかも建設費はほぼすべて地域住民の寄付。それほどまでしてなぜ人々が橋の建設を切望したのか。そこにはある悲しい出来事がありました。

その昔、四万十川の両岸を結ぶ交通手段は渡し舟が主流でした。1915年5月12日、増水した川で渡し舟が転覆。

養蚕の実習のため、桑の葉を対岸に取りに行こうとしていた女学生4人を含む11人が濁流の犠牲となりました。この事故を契機に橋を架けようという機運が盛り上がり、11年後「赤鉄橋」は完成しました。

昭和南海地震では橋桁が落下した「赤鉄橋」。復旧工事後はネズミ色に塗装されましたが、当時は塗料の質が悪く雨などではがれ、すぐに下地の赤が出て今の「赤鉄橋」の姿になったというエピソードも残ります。

住民:
「鉄橋と一緒に生活したような感じ。僕らのシンボル」

四万十川と中村の町を見守り続けた100年。女学生たちの事故がきっかけで架けられた「赤鉄橋」はこれからも市民の暮らしを支え続けます。

高知さんさんテレビ
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