新生児取り違えで生みの親が不明のまま68年を生きてきた男性が、東京都による調査打ち切りを受け、再調査を求める申し立てを行った。手掛かりが得られない中でも親探しへの思いは変わらず、行政の対応が問われている。

68年前の新生児“取り違え”

自分自身の“生みの親”は、いったい誰なのか。

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その答えを知ることなく、既に68歳まで歳を重ねたのが1958年、東京・墨田区にある都立の産院で生まれた直後、別の赤ちゃんと取り違えられた江蔵智さん(68)だ。

江蔵さんは18日の会見で「(2026年)3月に、東京都からこれ以上の調査は難しいということで打ち切られましたが、私の気持ち、親探しという部分では何の変化もありませんので」と話す。

紆余曲折を経て2025年、東京都に“親探し”を約束させた。
しかし、その作業は本格調査に至らぬまま、1年ほどで「打ち切り」となった。

これを受け、江蔵さんはきょう、調査の責任が果たされていないとして、新たな申し立てに踏み切った。

江蔵さんは「まさか手紙だけの調査で終了という言葉は聞くとは思っていませんでしたし、痛めつけられたというか、ショックでした」とその胸中を語った。

“育ての両親”は「今でも自分の息子」

江蔵さんをはじめて取材したのは今から21年前の2005年だ。

46歳だった江蔵さんは、“育ての両親”と共に新生児取り違えによる、東京都への損害賠償訴訟を起こしていた。

当時「(生みの親を)探すことに協力していただければ僕はそれでいいと思っています」と江蔵さんは語っていた。

実際には血の繋がらない関係であることを知らずに、両親は長年にわたって江蔵さんを育ててきた。

育ての両親は「悔しい、悔しさ。取り違えられたってのがあるから、悔しいのよね」「今でも息子は、自分の息子だと信じていますから」と、複雑な思いをこう打ち明けていた。

1958年4月、「都立墨田産院(※現在は閉院)」で江蔵さんは産声をあげた。

母親の手料理 “肉じゃが”が大好物で、親子であることを疑うことはなかった。

しかし江蔵さんは「周りからは『(父と母の)どっちにも似てないね』と親戚からは言われたことは何度かあります」と去年の取材で話していた。

“取り違え”の疑いが膨らんだのは江蔵さんが39歳の時だ。
母親が病院を受診したのをきっかけに、親子間の血液型の矛盾が判明した。

DNA検査の結果、血縁関係がないことが確定的となり、産院での別の赤ちゃんとの“取り違え”が浮上したのだ。

東京都に“生みの親”調査を

その後、江蔵さん側は損害賠償訴訟だけでなく都に対し、生みの親の調査を求める裁判も起こし、都は去年ようやく調査に着手した。

“取り違え”の可能性を把握してからほぼ30年が経過したが、実の親に繋がる手掛かりを待ちわびた江蔵さんに突きつけられたのは余りにも早い“調査打ち切り”だった。

きょうの会見では「実質的な調査は半年くらいだったんじゃないかと私は思います」と話す。

都は、江蔵さんが生まれた日の前後に墨田産院で生まれたとされる男性らについて、本人や両親に調査の協力を依頼する手紙を送付した。

しかし、都によるとDNA鑑定に応じるとした回答は“ごくわずか”だった。

一方で、未回答の人物については、“同意がない”として戸別訪問を行わないまま“生みの親の特定はできなかった”との調査報告を公表したのだ。

都に調査義務を果たすよう申し立て

この状況を受け、江蔵さんは今回、都に調査義務を果たすよう、新たな申し立てを東京地裁に行い、調査を徹底しない場合は都に制裁金を科すように求める、とした。

江蔵さんは「その手紙を受け取った方が全てが内容を把握したとは思っていないので、連絡が取れない方が7割いるので、私が同席をしても構わないので(直接)説明をして(欲しい)、どれくらいの期間がかかるかわからないが、私の親探しの気持ちは、何も変化がない」と改めて親探しへの強い思いを訴えた。

今回の申し立てを受け、東京都は「調査のご協力をお願いする方の心情にも配慮しながら、丁寧に調査を進めてきたところですけれども、申し立ての内容を確認した上で、適切に対応していきます」としている。
(「イット!」6月18日放送より)

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