交通事故で高次脳機能障害を負った高校生が、砲丸投げを始めてわずか8カ月で日本一に輝いた。障害と向き合い続けた10年の先に、新たな光を見つけた。
鉄球に宿るセンスと天真爛漫さ
飯田ちひろさん(17)は長崎玉成高校の3年生だ。高校から陸上部に入り、砲丸投げに取り組んでいる。
きっかけは、妹・礼乃さん(13)や弟・樹さん(14)が大会で活躍する姿を見たことだった。
「元々運動が好きで何でもできていた。事故に遭う前は」と語る飯田さんは、自らも大会に出て結果を残したいと思い立った。
はじめはマネージャーとして入部したが、1年生の終わりごろに選手に転向した。
強い麻痺が残る左半身に比べて右半身は動かしやすかったことから、陸上経験者の父が砲丸投げへの挑戦を勧めた。すると、才能はすぐに開花した。
顧問の山下尚哉先生は「大体、皆、フォームが分からないような感じで始めるけど、彼女の場合は最初から形ができていたので、センスがあるのだろうな」と振り返る。
山下先生が語る飯田さんの強みは「天真爛漫さ。前向きに捉えて言われた通りにするところ」だ。
始めて8カ月で日本一に輝いた
2025年10月、飯田さんは全国障害者スポーツ大会に初出場し、女子砲丸投の肢体不自由区分21(1部)で金メダルを獲得した。競技を始めてわずか8カ月での快挙だった。
「自分が選手としてするって思っていなかったから、競技場のフィールドの中とかに入れるのが楽しい」と飯田さんは話す。
大会で好成績を収めたことが自信につながり、課題だったメンタルも少しずつ強化されている。
父・彰吾さんは「ちひろ自身が大きく羽ばたいたな、ステップアップしたな」と目を細める。
以前はアイドルが拠り所だったが、今は「自分自身の拠り所というのができたのかな」と感じているという。
母・陽子さんも「やりたいことと、させたいことが合致して」と喜びを語り、「ちひろのおかげで高次脳機能障害について知ってくれる人が増えていくことがうれしい」と話す。
誰もがなり得る見えない障害
飯田さんは小学1年生のとき、登校中に軽トラックにはねられ、一時意識不明の重体となった。
一命は取り留めたものの、体には麻痺と「高次脳機能障害」が残った。
高次脳機能障害は事故や病気などで脳が損傷を受けることで起こり、患者は全国に約22万7000人、長崎県内には約3300人と推計されている。(厚労省・2022年12月時点)
主な症状は、新しいことを覚えられないこと、集中力が続かないこと、段取りよく物事を進めるのが苦手なこと、疲れやすく感情的になりやすいことなどだ。
見た目では分かりづらく「見えない障害」とも呼ばれる。
「障害は見えないから、あることが分からなくて『障害があったの?』と言われる」と飯田さんは語る。
「人に興味がなくても、ちょっとは理解してほしいなと思う」という言葉には、当事者としての切実な思いが宿る。
後天的な原因で誰もがなりうるこの障害に対し、国も動き出した。
2026年4月、退院後の日常生活や仕事への復帰がスムーズにいくよう、切れ目のない支援を受けられる社会を目指す「高次脳機能障害者支援法」が施行された。
2028年ロスパラリンピックへ
事故から回復した飯田さんは、特別支援学級のサポートを受けながら小学校に戻り、中学部から長崎玉成高校に内部進学した。
かつては父親が付き添っていた通学も、今では1人でできるようになった。
「もう大体バスの便は覚えてる」と話す姿には、着実な自立への歩みがある。
学校ではスクールカウンセラーの面談を定期的に受けながら、困ったときに自ら助けを求める力も身につけてきた。
高校最終学年の目標は「全国大会で新記録を出すこと」だ。リズムの取り方や体のバランスなど基礎を見直し、フォームの微調整も重ねている。
「頑張ったのが結果に出るから」と言い切る飯田さんが見据えるのは、さらに高い目標だ。
「2028年にロスであるパラリンピックに出たい」という言葉が、長崎から世界へと広がる夢を鮮明に示している。
将来については「自分も障害や病気で悩んでいる人達を精神的にケアしたい」とも話す。
交通事故から10年、障害と向き合い続けた先に見つけた目標は、一人の高校生の物語を超えて、多くの人の理解と可能性を広げていこうとしている。
(テレビ長崎)

