岩手県の南部に位置する世界遺産の町、歴史と文化が色濃く残る「平泉」の由来に迫る。

長年にわたり岩手県の地名を調べる宍戸敦さんによると、「平泉の地名の由来の一つの説として『酒の泉』という由来がある。江戸時代、岩手の歴史研究家・相原友直の説は、奥州街道上に『酒の泉』『酒泉』、泉が湧く場所があった。平地で泉が湧く、だから『平泉』と相原友直さんは言っている。平(タイラ)は平坦、平(ヒラ)は方言で斜面のことをいう。地名はどちらかというと読み方が優先となるので、平らな場所に湧く泉というよりも、斜面から湧く泉の場所という解釈と考えている」と説明する。

その「酒の泉」にゆかりのある場所に向かった。
平泉の歴史に詳しい八重樫忠郎さんに地名の由来について聞いた。

平泉世界遺産ガイダンスセンター 八重樫忠郎センター長
「青森から東京までつながる大きな街道だった。江戸時代の記録にある。増補行程記(当時の記録)に描かれていて、近くに酒が湧くという酒泉という『酒の泉』があったと書かれている。酒は当時、不老長寿の薬と考えられていた。酔って高揚することを『神様が降りてくる』と思われていた。非常に神聖な場所だと考えられていた。平泉の由来の説は『酒泉』以外にもある。一関市の骨寺村荘園遺跡には、平泉野(ひらいずみの)と書くところがあったと伝えられ、それが平泉の由来ではないかということも言われている」

この「酒の泉」があったとされる地は、高館と呼ばれる地域だった。

宍戸敦さんは「高館(たかだち)あるいは高館(たかだて)は、かつて平泉村の中に含まれている一つの行政区の場所だった。高館はその名の通り高い場所にある館(やかた・たて)という意味と考えられる。高館は源義経が自害をした場所と伝えられている」と話す。

鎌倉時代、源義経は兄・源頼朝と対立し、追われる身となった。
各地を転々とした、義経が平泉の藤原秀衡のもとに身を寄せた際、「衣河館」という場所に住んだと言われている。

その後、藤原秀衡の息子・泰衡に襲撃され自害に追い込まれる。
源義経が最期を迎えたこの「衣河館」が高館にある「高館義経堂」と言い伝えられてきた。

しかし、この歴史について新たな可能性も注目されている。

平泉世界遺産ガイダンスセンター 八重樫忠郎センター長
「奥州市の接待館遺跡は、平泉の藤原氏の二代基衡・三代秀衡の妻が偉い人を接待した場所。源義経の最期の場所は平泉町の高館だと伝えられてきた。当時の記録には衣河館で亡くなったとあり、発掘調査で(接待館遺跡から)義経の時代のものがたくさん見つかった。(この場所の)衣川という地名もあって、義経最期の地の『衣河館』の可能性が高いと今は評価されている。これからも調査が進むので、さらに新たなことがわかるかもしれない」

かつて湧き出た「泉」が由来とされる平泉は、義経最期の地の可能性が高いと言われ、私たちがまだ知らない歴史のロマンが眠っている。

岩手めんこいテレビ
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