今年は災害関連死ゼロを目指し、避難所のあり方をテーマにお伝えしています。
今回は能登半島地震の後の避難所生活がもとで従兄を亡くした夫婦の証言に耳を傾けます。
能登半島の東、富山湾に面し、イカキングのモニュメントで知られる石川県能登町。
おととし元日の能登半島地震では、最大震度6強を観測、当時、町の人口は1万5000人あまり。81人の死者が出ました。
このうち、大半の79人は地震の津波の直接的な被害ではなく、災害後の避難生活などで亡くなった災害関連死でした。
港町、鵜川地区。
半壊の自宅で暮らす鶴谷さん夫婦です。
*啓子さん
「やっぱりストレス、それしか考えられん。大変やった、避難所。鵜川で死人が出なかったのに関連死になって、悲しい話」
従兄の綿清嗣さん。
能登半島地震から17日後、75歳で亡くなりました。
綿さんと鶴谷さん夫婦が身を寄せたのは地元の小学校。
避難した人の数は、町が把握しているだけで人口の約3分の1、5500人近くに上ります。
*鶴谷俊夫さん
「避難所はあっち、体育館」
*啓子さん
「綿さんはあの食堂のところ、隅にいました。あそこにぎゅうぎゅうやった。段ボール(ベッド)無いでしょ、あの時。大変やった」
*啓子さん
「こうしてみんなで一緒に食べて」
Q何を食べていたんですか?
*啓子さん
「カップラーメンとおにぎり」
Q雑魚寝?
*啓子さん
「そうですよ。風呂も入れんし」
*啓子さん
「二週間ほどか、避難生活していた時に、ご飯が食べられないようになった。大丈夫なん?って言っていたもんね、体も都合悪くなってきたのか」
母親の介護で能登町の実家にいた綿さん、妻が暮らす千葉に戻った矢先、心筋梗塞を発症しました。
*鶴谷俊夫さん
「一週間もしないうちに急に具合が悪くなって、千葉の大病院に行ったらもう手遅れみたい感じで。すぐ亡くなったと奥さんから電話かかってきた」
Q自分でしんどくなってきていたが...
*啓子さん
「言えなかった、我慢する人だった」
半年後、綿さんは災害関連死と認定されました。
震災自体によるショック・ストレス・恐怖に加え、急激な避難行動や避難所生活による環境の激変があり、特に排泄に苦労したことで心身に相当な負荷が生じたと推察できる。
そのような状況下で心筋梗塞を発症し、心破裂により死に至ったものである。
よって、死因と災害との間に相当因果関係があると判断した。
*啓子さん
「助かった命だけど」
助かった命が失われる災害関連死。
避難所で心身に相当な負荷が生じた綿さんを救うことはできなかったのか。
例えば、冷たい床の雑魚寝を解消し、健康被害を防ぐ効果がある段ボールベッドが能登町で導入されたのが綿さんが避難所を離れた翌日の1月16日。
綿さんは、ずっと雑魚寝でした。
段ボールベッドの導入に時間がかかった訳を当時、災害対応を指揮した前の町長、大森凡世さんはこう語りました。
*能登町前町長 大森凡世さん
「体育館にみんな避難して、ぎゅうぎゅう詰めだった。そこで段ボールベッドを並べてしまうと数が限られてしまう。ある程度、(避難者数が)絞られた段階でないと…」
町が段ボールベッドを導入したのは、避難者が1000人に減ったタイミング、それでも被災した能登の市や町で最も早い対応でした。
災害関連死について町の検証結果で避難所だけが問題ではないことも分かりました。
災害関連死79人のうち、「避難所生活の負担」がもとで亡くなったのは27人。
一方、介護を必要とする人で入居していた「施設の機能低下」による人が44人でした。
また、23人は介護を必要としておらず、被災後の生活環境の悪化で体調を崩し、回復できないまま死に至った可能性があると指摘しています。
町は、検証結果を踏まえ、今年度、災害関連死を防ぐ具体的な対策の協議に着手する方針です。
避難所を含めた災害後の生活で命を落とす災害関連死。
被災した地域全体の問題として横たわっています。
*啓子さん
「本当に多い…関連死」