那覇市の住宅街、小禄の一角に建つビルの二階。階段を上がると、ギャラリーの壁一面にはカラフルなガラス作品が並んでいる。青、赤、橙、そして繊細な螺旋模様。

さまざまな表情を見せる作品は、アメリカ出身のガラス職人ミッチェル・ノアさんの手によって沖縄で生み出された「琉球ガラス」の作品だ。
琉球ガラスの「速さ」に揺さぶられる

沖縄の伝統工芸・琉球ガラスは、戦後の焦土から生まれた。
81年前、激しい地上戦で壊滅的な被害を受けた沖縄の工芸文化。職人たちは米軍施設から出たビールやコーラの廃瓶を再生ガラスとして活用し、今日に続く復興の道を切り拓いてきた。そんな歴史を持つ工芸に、大西洋の向こう側で研鑽を積んだアーティストが飛び込んできた。

ノアさんは2009年にアートの世界へ踏み出し、アメリカの大学でガラスアートの修士号を取得。大学の助教授として表現技法の指導にあたるなど、着実にキャリアを築いてきた。2023年、陶芸家の妻の出身地である沖縄へ移住したノアさんは、読谷村の琉球ガラス工房「海風」の一員として、新たな挑戦をスタートさせた。
しかし工房に入った瞬間、長年の経験が揺さぶられたという。

「たくさん練習をしてきたつもりだったけど、ここに来て間違いだと気付いたよ。製作工程の一つひとつがとても速いんだ。次から次へと作っていく」
グラスや皿といった日常使いの製品を、決められた型で次々と仕上げていく。そのリズムと速度に、ノアさんは驚きとともに新鮮な魅力を見出した。集中を途切れさせず、繰り返しの中で精度を高めていく姿勢こそが、自分に足りなかったものだと気づいたのだという。
技法の折衷、表現の拡張

西欧のゴブレットのように繊細な造形から、大きな目と不思議な模様を持つアート作品まで、ノアさんの作品群は琉球ガラスの鮮やかな色彩を軸にしながら、従来の枠を大きく超えている。
特に目を引く繊細な螺旋模様は、イタリアのヴェネツィアングラスの技法「ザンフィリコ」によるもの。色とりどりのガラス棒(ケーンガラス)を組み合わせて模様を施すこの技法は、パーツ作りと冷却を含めると数日を要し、一つの製品を10分ほどで仕上げる琉球ガラスの現場とは、対極とも言える時間軸の上に成り立っている。

工房「海風」はノアさんとともにヴェネツィアングラスの技法を取り入れた新ブランドを立ち上げ、琉球ガラスの表現の可能性を広げてきた。
海風・屋良彰社長は、ノアさんが工房にもたらした変化をこう語る。

「ミッチが来ることで表現の幅が広がりました。ガラスは世界中で様々に発展していて、彼が大学で教えたり学んできた経験から、自分たちの立ち位置を改めて見つめ直して、世界に通用する琉球ガラスをどう生み出すかを学んでいる最中です」
「ガラスが私たちの言語なんです」
ノアさんの個展の会場となったギャラリー・ホンノパーク(那覇市小禄)では、100点余りの作品が並べられた。

訪れた人たちからは「琉球ガラス独特のパキッとしたブルーや赤がありつつ、今までにないデザイン」「こんなに色の表現が出るとは思わなかった」といった驚きの声や、「暮らしてきたバックボーンで、こんなに表現が変わのは斬新で面白い。これが自由だ」という言葉も飛び出していた。
ギャラリーのオーナー・新城暖さんも、ノアさんの存在に琉球ガラスの未来を重ねる。

「伝統工芸には固まったイメージがありますが、海外から来るアーティストが混ざり合うことで、新しい伝統とも言えるデザインが生まれています」
ノアさん自身、工房での日々を「第二の家族のような場所」と表現する。
国籍も言語も異なる職人同士で同じ火の前で汗をかき、一緒に作品を生み出していく。交流の中でガラスは単なる素材ではなく共通言語になる。

「ガラスの作り方は共通の言語です。地面に造り方を描いたりしながら、みんなに理解してもらえる。ガラスが私たちの言語なんです」
炉の前で生まれる新しい伝統
ノアさんは、工房の枠を超えて多くの職人と交流を続けながら、外国のガラス作家を沖縄に招く構想も温めているという。
戦後の廃瓶から立ち上がった琉球ガラスは、新たな職人の手と情熱を得て、高温の窯で異なる文化を溶かし合わせるように、また別の輝きを放ち始めている。

ノアさんという存在が琉球ガラスの世界にもたらす静かで熱い化学変化は、どんな「色」で伝統工芸を彩るのか、これからの作品と動向にも注目していきたい。
沖縄テレビ
