本州一広い岩手県で、救急医療の最前線を担うドクターヘリ。2012年の運航開始以来、時速200キロで県内どこへでも30分以内に駆けつけ、数多くの命を救ってきた。矢巾町の岩手医科大学附属病院を基地に、医師・看護師・操縦士・整備士らが一丸となって動く“空飛ぶ救命室”は、どのようにして命と向き合っているのか。その1日に密着した。
朝の準備と点検
命を守るため一刻を争い現場へ向かうドクターヘリ。岩手県内では2012年から運航している。基地を置くのは矢巾町の岩手医科大学附属病院だ。
午前7時12分。まだ静けさの残る基地で、整備士が機体の細部まで丁寧に点検を進めていた。
ヘリに乗り込む医師と看護師も、積み込む医療用機材を確認し、出動に備えて準備を整える。
8時25分になると、フライトドクター、フライトナース、操縦士、整備士、通信担当者が集まり、天候や風の情報を共有するミーティングが始まった。
フライトドクターは救急専門医・森野豪太医師(37)、フライトドクターになって5年目を迎える。運航管理の責任者も務める。
森野医師は「現場で処置すれば助かった命があることを日々感じていた。それを見てきて『現場に行って救命したい』という思いからドクターヘリに乗りたいと思った。現場で絶対助けてやるという思いがある」と語る。
森野医師は山形県出身で岩手医大を卒業、いまは生まれたばかりの娘の存在が日々の励みになっているという。
この日、ともに飛ぶのはフライトナース4年目の千葉佑佳さん(盛岡市出身)。
「医療の提供だけではなく、患者や家族の不安を軽減できるような対応をしたい」と話す。
出動要請―3mの高さから転落事故
午前10時12分、通信室から緊迫した声が響く。
「フライトドクター、フライトナース、ヘリ要請受信しています。スタンバイお願いします」
「ドクターヘリエンジンスタート、ドクターヘリエンジンスタート」
要請内容は、 76歳の男性が鶏舎の屋根を補修中、高さ3メートルのはしごから転落したという通報だ。
午前10時18分、ヘリはエンジンを始動し離陸。
約70キロ離れた奥州市の消防署前沢分署へ向かう。
飛行中、現場に着くまでに医師と看護師は患者の容体を確認し、必要な医療機器を準備していく。
一方、司令塔の役割を担う基地では「盛岡モデル」と呼ばれる日本初のシステムが4月1日から稼働していた。
ヘリや救急車の位置情報、通報内容をリアルタイムで共有し、救助までの時間短縮に貢献している。
現場での診断と処置
時速200キロで飛ぶドクターヘリは、車なら1時間5分かかる距離を23分で到着した。

合流地点に待機していた救急車に乗り込み、森野医師が患者の状態を確認する。
携帯型の超音波を使ったエコーで診断し、血圧や脈拍を測定し、点滴を行うなど応急処置を施した。
大きな手術が必要な場合はドクターヘリで岩手医大へ搬送するが、この日は診断した結果、近隣の病院で受け入れてもらうことにした。
森野医師は「強風もあるので、ドクターカー方式で私たちも乗って胆沢病院に向かう」と話した。
午前10時58分、救急車出発。10分後には奥州市内の病院に到着し、その後の処置を任せることにした。

森野豪太医師:
(高さ)3mからの転落外傷で、左の恥骨の損傷と背中の骨折が疑われるが、全身状態としては安定していたので近隣の中核病院で収容してもらい、今から検査と治療に入ると思う。
昼食と日常の一面
午後0時35分、基地に戻り昼食の時間。とはいえ、いつ次の出動があるか分からないため、食べられるときに食べておく必要がある。
フライトナースの千葉さんは「お腹が空きすぎても乗り物酔いしやすい」と話す。
森野医師は「1食目が夜になることもある。最近は妻が心配して朝ごはんを食べるよう言ってくれる。『いつもありがとうございます』と思っている」と笑顔を見せた。
今日も岩手の空へ―命を救うために
2025年度の出動件数は327件。年間の運航費用は3億円を超え、医療機器の更新などを考えると維持費は大きな課題となっている。

物価高の影響もあり、岩手医大では2025年10月から寄付金を募っており、5月13日時点で16件・250万円が集まっている。
「もう少しフライトドクターを増やしていきたい。より良い救命の体制をつくっていき、県民の皆さんを1人でも多く救っていけるよう活動していくと森野医師は語る。
「1人でも多くの命を救いたい」――その強い思いを胸に、医師や看護師、操縦士、整備士らがチームで命と向き合う。 今日もドクターヘリは、広い岩手の空を飛び回り続けている。
