一枚の写真から街を再発見する「兵動大樹の今昔さんぽ」。

今回の舞台は、大阪市中央区谷町6丁目にある空堀商店街だ。

大阪城公園に近く、美味しいものがたくさんあって、歴史も深い空堀商店街の前で兵動さんが受け取ったのは、1959年(昭和34年)に大阪で撮影された一枚の古い写真。兵動さん、受け取った瞬間から大混乱だ。

兵動大樹さん:え、何これ、どっち? これ初めてや!分からへん、どっちや。

写真の上下すら判別できないという異例の展開。
どうやら上から下を撮影しているようで、何かを発掘しているようにも見える。

今回はここから思いもよらない歴史の大冒険が始まるのだ。

■空堀には“石垣”が残っている?

さっそく商店街で聞き込み開始!
通りかかった女性に写真を見せると、「まだちょっと生まれてない」との返答が。

兵動大樹さん:『ちょっと生まれてへん』っていう言い方が大阪やねん。ちょっとだけ生まれてないねん。

別の男性に写真を見せると、「大阪城の石垣?」という推理が飛び出した。

さらに和菓子店の店員さんからは、「石垣はこの向こう側も下もある。そこを通っていくと石垣がある」という具体的な情報も。

空堀の街には至るところに石垣が残っていて、なんと店内に石垣がそのまま残されているお店まであり、石垣の席を予約するお客さんもいるのだそうだ。

写真の風景は?
写真の風景は?
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■空堀の石垣の正体は「大阪城の堀?」それとも…

地元の方に教えてもらったスーパーの裏側を見に行ってみると、確かに立派な石垣があったのだが…

兵動大樹さん:石垣やな。ここが大阪城の堀の名残りって言ってはるやろ。でもこれ極めて新しいねん、すごく。『掘ったぞ感』があるやん。微妙やな。

ちなみに「空堀」という地名は、大阪城の南側にあった一番外側の堀「南惣構堀(みなみそうがまえぼり)」があった場所に由来している。

水の入っていない空の堀だったことから「空堀」と呼ばれるようになったのだ。

今回の写真は、その外堀の一部なのだろうか?

「堀ったぞ感」があるから違う石垣?
「堀ったぞ感」があるから違う石垣?

■空堀は「瓦の土」の採取場だった?

商店街の方に「昔のことに詳しい人」として紹介された1765年創業の鰹節店「丸与」へ向かう。

写真を見せると、大将が重要なヒントを教えてくれた。

鰹節店の大将:大阪城ちゃいますか?

兵動大樹さん:スーパーの前の筋にも石垣がありましたけど。

鰹節店の大将:あれは違います。あれは瓦の土を取って段差になったから石垣で埋めた。

江戸時代後期の地図を見ると、空堀商店街あたりには「瓦土取バ」の文字が。

瓦を作るために土を取り、崩れないように作った石垣が残っているのだそうだ。
つまり、スーパー裏の石垣は大阪城の堀の名残ではなく、瓦の土を採った跡に築かれたものだったのだ。

空堀商店街
空堀商店街

■この石垣の正体は…

今回の写真は、空堀に残る石垣ではなさそうだということが分かってきた。

さらに以前の取材でもお世話になった空堀商店街の「宇治茶園」へ。

海外からのお客さんにも評判のお茶をいただきながら、写真について聞いてみる。

宇治茶園・宮下さん:(これは)大阪城内の掘削やと思うわ。元の焼けた大阪城の石垣とちゃうかな。

写真の石垣は地中深くにあることから、空堀ではなく大阪城内の石垣ではないかとの見立てだ。

1614年の大坂冬の陣の後、徳川家が講和条件として外堀を埋めさせ、その半年後の夏の陣で大阪城を落としたのだ。

大坂冬の陣の後、徳川家が外堀を埋めた
大坂冬の陣の後、徳川家が外堀を埋めた

■いまの大阪城はにせもん?ほんまもん?

いよいよ大阪城へ。城内にある「豊臣石垣館」で、館長の跡部さんが出迎えてくれた。写真を見せると…。

跡部さん:大阪城です。地下に埋もれている石垣が発見されて、その調査をしているところ。

現在の大阪城天守閣は豊臣時代、徳川時代に続く三代目で、市民の寄付によって建てられたもの。

そして今、地上に見えている石垣はすべて徳川時代のもの。豊臣時代の石垣は、徳川幕府が分厚い盛土で「埋め殺し」にしてしまったのだ。

跡部さん:ですから『秀吉の時代の石垣』というのは地上では見ることができないんです。

兵動大樹さん:居酒屋とかでおっさんが、『あれほんまの大阪城ちゃうねん、豊臣の大阪城は地下にあんねん』って言うてんのは、まんざらウソでもないっちゅうことですか。

跡部さん:まんざらウソでもないけど、地上の大阪城もほんまもんです。

豊臣石垣館で展示されている石垣には、大坂夏の陣で燃えた火を受けた赤色の痕跡も残されている。

ちなみに兵動さんは、この施設の建設にふるさと納税で寄付をしており、館内に家族全員の名前が入ったネームプレートが残されていた。

豊臣の石垣
豊臣の石垣

■雨との戦い!地下7メートルに眠る”謎の石垣”をついに撮影

今回の写真は、豊臣石垣館に展示されている石垣(1984年発見)とはまた別の場所。

1959年に発見された当時は「謎の石垣」と呼ばれていたそうだ。地下7メートルに眠っており、普段は非公開だが特別に開けてもらえることに。

ところが、複数の鍵を開ける作業中に雨雲が接近!
「雨のときは開けない」というルールがある中、時間との戦いが始まる。

鍵の番号を探す跡部さん、迫る雨雲、強まる風―。
ようやく蓋が開いた瞬間、雨がパラパラと降り始めた。

兵動大樹さん:カメラ貸しといて! すぐ閉めるから!

慌ててカメラを受け取った兵動さんが必死に撮影。
フタを閉めた瞬間、なんと雨がピタリとやんだのだ。

兵動大樹さん:止むんかい!ちょっと待って、秀吉ジョーク?!

「止むんかい!」と兵動さん
「止むんかい!」と兵動さん

■写真の場所を発見!

今回の写真は、1959年にこの豊臣時代の石垣を調査していたときのだった。

兵動大樹さん:言うときます。(地上で見えているものも)ほんまの大阪城ですから。豊臣時代の大阪城はこの下でございますんで。また思いを馳せていただきたいと思います。

(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2026年4月17日放送)

写真の場所を発見
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関西テレビ
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