2026年は戦後81年、戦後生まれが9割を占めるいま記憶の継承が課題となっています。
そうした中、富山大空襲の証言を「絵」に残す高校生がいます。
富山で始まった新たな記憶の伝承を見つめます。
4月27日、富山国際大学付属高校である特別展示が始まりました。
美術部の生徒が富山大空襲の体験者の声をもとに制作したものです。
3年生の西田七虹さん。富山大空襲の語り部だった祖父の証言をもとに絵を描き上げました。
*富山国際大学付属高校3年 西田七虹さん(18)
「おじいちゃんが美術部にきて話をしてくれた時に、空がどんな色だったかを聞いていて、赤に黒を混ぜた赤黒い空だったと言っていたのを覚えていて、下からグラデーションになるようにした」
1945年8月2日未明の富山大空襲。アメリカ軍の爆撃機B29が111分間もの間富山市街地に焼夷弾を投下し、2700人以上が犠牲となりました。
このプロジェクトが始まったのは戦後80年を迎えた去年8月。
きっかけは七虹さんが抱いた、ある危機感でした。
*富山国際大学付属高校3年 西田七虹さん(18)
「新しい活動をしていかないと体験者が亡くなられていくなか、継承活動がなかなか進まないという課題がある」
体験者の声が失われる前に「絵」に残す…。七虹さんがまず話を聞いたのは祖父の進さんでした。
当時10歳だった進さんは自宅のあった富山市弥生町で空襲に遭い、母・兄・妹と4人で近くの小川へ飛び込み助かりました。
*10歳で富山大空襲を体験 佐藤進さん(当時90歳)
「周りに焼夷弾がバラバラっと落ちてきた。どこからか「川へ飛び込め」と言う声が聞こえた。母親が妹を引きずって川に飛び込んできた。その直後に焼夷弾が一斉に火を噴いたもうちょっと遅かったならば母親も妹も焼け死んでいた」
七虹さんは進さんの記憶をもとに、筆を進めました。
しかし、2025年11月絵の完成を前に、進さんは亡くなりました。
*富山国際大学付属高校3年 西田七虹さん(18)
「おじいちゃんも最後まで話して最後まで誰かに伝えたいという思いがあった。私も後に続いて1人でも多くの人に伝えられたら」
この日、七虹さんは、母の亜希代さんとともに氷見市の中学校を訪れました。修学旅行での平和学習を前に富山で空襲があったことを知ってもらいたいと2人が招かれました。
七虹さん、完成した絵を用意していました。
*富山国際大学付属高校3年 西田七虹さん(18)
「家族全員飛び込むことができたその直後に、田んぼの焼夷弾が一斉に爆発した。その時の様子を描いたのがこの絵。私が描いた部分はおじいちゃんが一番記憶に残っている、一番伝えたいと生前よく言っていた場面。絵があってこそ絵と体験を話すことによってより生徒の想像力も豊かになったと思う」
*氷見北部中学校3年 小山唯斗さん
「絵を見たら川以外に火が広がっていて、(空襲が)111分間続いたことを考えたらこわいことだと思った」
*氷見北部中学校3年 竹優奈さん
「自ら考えて学んで次の世代に伝えていくことが、戦争を忘れないことにつながると思った」
祖父の記憶を、戦争を知らない同世代へ。思いをつないでいきます。
富山国際大学付属高校3年 西田七虹さん(18)
「知ってほしいという思いを受け継いで私たちは語り部になれている。体験から目を背けずに心にとどめて語り部活動をしていきたい」
このプロジェクトは、広島の高校生が続けている原爆の被害を絵で伝える取り組みをヒントに始めたということです。
富山国際大学付属高校の生徒が描いた絵は、8月に県民会館で開かれる「戦時下の暮らし展」で展示される予定です。