観測史上初めて2回の震度7を観測した熊本地震。
前震から14日で10年です。
地震当時、4歳だった宮崎花梨ちゃん。
当時入院していた病院が倒壊の危険が高まり、別の病院に転院。それからまもなくして亡くなりました。
母親の思いと、この地震を教訓とし変化を遂げた病院を取材しました。
仏壇に手を合わせる母親。
4歳だった娘を失って、まもなく10年です。
宮崎さくらさん:
当時は本当に亡くしたことが大きすぎて、悲しいのがわかんないんですよ。だから涙が出るのも時間がたってからでしたし。どう過ごしてきたかというのをはっきり思い出せない部分もあるんですけど。
4年という短すぎる生涯を終えた、宮崎花梨ちゃん。
10年前、災害関連死と認定されました。
生まれつき心臓の病気を抱えていた花梨ちゃんは、地震の約3カ月前、熊本市民病院で手術を受けました。
しかし、経過が思わしくなく合併症で肺炎を発症。
集中治療室で治療を行っていました。
しかし、観測史上初めて一連の地震で震度7を2回観測した熊本地震。
花梨ちゃんがいた熊本市民病院も、16日には最大震度6強を観測しました。
熊本市民病院は激しい揺れで亀裂が入り、柱が損傷。給水設備は断絶しました。
当時、この病院は国の耐震基準を満たしていなかったのです。
倒壊の恐れがあると判断され、入院患者310人が転院を余儀なくされました。
人工呼吸器をつけて入院していた花梨ちゃんも、その1人。
宮崎さくらさん(2017年1月):
「ちょっとでも動かすと危ない」とずっと言われていたので、1回「(転院)しないでください」と言ったんです、「そのままそこで治療してください」って。
母のさくらさんは病院を移ることに反対しました。
しかし、病院自体が倒壊する恐れから、転院以外の選択肢はなかったといいます。
転院先は福岡の病院。
1時間半で着く予定でしたが3時間かかったといいます。
その後、花梨ちゃんの容体は急速に悪化。
そして、最初の地震から1週間後の4月21日、花梨ちゃんは亡くなりました。
2歳年上のお姉ちゃんの制服を着て幼稚園に行く練習をしていた花梨ちゃん。
幼稚園に通うことを楽しみにしていました。
宮崎さくらさん(2017年1月):
(転院後)毎月の楽しい行事を言えば、頑張ってくれるかなって思って。今までしてきたことを全部、「あの時こうだったね、どこ行ったね」と言ってた。
地震がなければ14歳になっていた花梨ちゃん。
さくらさんは、どんな中学生に成長していたか思いを巡らせます。
宮崎さくらさん:
どんなふうに成長してたかなとか、色々想像することはあるんですよ。私にそっくりでしたから、身長もそんなに高くないだろうし、運動も苦手だったろうなとか。でもやっぱり4歳なんですよ。私たちの中にいるのは、やっぱり4歳のあの時の花梨なので。
そして毎朝、「今日もいっぱい遊ぼうね」と話しかけているといいます。
生前、花梨ちゃんがいつも口にしていた言葉が忘れられないからです。
花梨ちゃんの映像:
いっしょにあそぼうね。おもちゃでいっぱいあそぼうね。ばいばい。
宮崎さくらさん:
おもちゃでいっぱい遊ぼうねと言ってるのがあって、あのイメージがすごく強いので、「今日もいっぱい遊ぼう」というのは言いますね。
花梨ちゃんのような患者は他にも多くいました。
熊本県内52の医療機関が地震の影響を受け、1000人以上の入院患者が転院や帰宅を余儀なくされたのです。
熊本地震による死者は278人。
このうち8割は災害関連死で、花梨ちゃんのように転院後、亡くなった患者も含まれています。
花梨ちゃんら患者の死を受けて、病院はどう変わったのでしょうか。
熊本市民病院 当時の院長・高田明さん:
重症の患者さんを搬送せざるを得なかった。そのために亡くなるという事態が起きたことは非常に重く受け止めていますし、そのことが花梨ちゃんの悲しい出来事につながったということを忘れてはいけないこと、決してあってはいけないこと。
二度とこのような悲劇を生まないため、地震から3年後の2019年、熊本地震級の揺れにも耐えられる免震構造を採用した新しい建物が完成しました。
熊本市民病院 総務企画課・東濱直樹さん:
こちらがオイルダンパーといって、地震の揺れを建物に伝えないようにする装置。
震度7クラスの地震が起きても損傷を抑え、医療行為を続けることができるといいます。
花梨ちゃんが当時いた集中治療室も揺れない免震構造の建物の中にあります。
また、花梨ちゃんのような重症患者を転院させることなども想定し、ヘリポートも整備しました。
熊本市民病院 当時の院長・高田明さん:
災害に関しては、自分たちはかなりしっかりした病院ができたので、今度はそういった他の地域で起こった災害に対して応じることができるよう、役割をしっかり果たそうという気持ちが一番強いです。
花梨ちゃんのような死を二度と起こさないよう誓い、生まれ変わった病院。
その一角には、母・さくらさんが種から育てた白い花が咲いています。
さくらさんは、治療にあたった熊本市民病院には感謝しているとしたうえで、「あの時、何があったかを伝えていきたい」という思いから、学生や医療従事者などに講演を続けています。
宮崎さくらさん:
今後、必ずまた災害は、同じような災害も、もっと大きい規模のものも起こりますから、必ず起きますので、その時に花梨のような子もたくさんいるでしょうから、そういう子たちが本当に一人でも救われるようなことにつながってもらえれば、一番うれしいですかね。