東日本大震災から15年。2万2千人を超える死者・行方不明者を出した未曾有の災害の記憶は、遠く離れた沖縄の地でも、確かに受け継がれている。那覇市立さつき小学校の児童たちが歌う合唱曲「群青」の前奏が、体育館に静かに広がり、子どもたちの声が続く。

《ああ あの街で生まれて君と出会い》
震災当時はまだ生まれていなかった子どもたちが、合唱曲をまっすぐに歌い上げている。福島県出身の音楽教師・工藤かやさんが、この歌を沖縄の子どもたちに教えている。
沖縄から見ていた故郷の惨状

「福島の南相馬市の目の前には、太平洋が広がっています。今から15年前、この綺麗な海がとても恐ろしい姿に変わりました。たくさんのものを流してしまった。ここにいた人たちは、思い出したら胸が苦しくなるぐらいの、そんな思いを味わったんです」
工藤さんはゆっくりと、丁寧に子どもたちに語りかける。
震災が起きたとき、工藤さんは沖縄にいた。テレビの画面越しに、故郷・東北の惨状を見ていた。津波が街を飲み込み、多くの命が失われていく映像。それを眺めながら「自分には何もできない」という感覚が胸に積もっていった。

「生まれ育った東北にあんな甚大な被害が…という感覚は今でも鮮明に思い出します。一番苦しかったのは、私は福島のために何もできない、ここに居て何もできないことをとても情けなく感じたことです」
その無力感を抱えたまま日々を過ごしていた工藤さんは、合唱曲「群青」に出会った。
離れ離れの子どもたちが紡いだ言葉
「群青」が作られた福島県南相馬市の小高区は東日本大震災時、津波によって街が甚大な被害を受け、多くの命が失われた。さらにこの地域は福島第一原子力発電所から半径20キロ圏内に位置し、住民たちは長期にわたる避難を余儀なくされた。地域の学校の仲間たちも全国に散り散りになった。
そんな中、離れ離れになってしまった友人を思う児童生徒たちが、日記や日常の会話の中でぽつりぽつりと綴っていた言葉を、小高中学校で当時音楽教師を務めていた小田美樹さんが丁寧に書き留め、震災発生から2年後の2013年に合唱曲「群青」として結実させた。

歌詞には、離れた場所にいる友人への思いや問いかけが刻まれている。
《遠い場所で 君も同じ空 きっと見上げてるはず》
無力感に差し込んだ光
この歌と出会った時、工藤さんが抱いていた無力感に小さな光が差し込んだような感覚があったという。
「何も出来ない無力な気持ちで過ごしていた私に光を差し込んでくれた。自分の大切な人を思うという気持ちが歌になった時に、こんなに心にストレートに来るものなんだと」

歌に救われた工藤さんは、沖縄の子どもたちにもこの歌を歌ってほしいと思うようになった。
「歌を歌うことで、どこかで沖縄の思いと福島の思いがつながると信じることができる。自分の失った大切なものをずっと思いながら、すごく必死に生きている人がこの世の中にはたくさんいるんだよ、ということを知ってもらえたらなって」
考えて、想像して、震災を知らない子どもたちは歌う
工藤さんの思いをのせて届けた歌は、震災を知らない子どもたちの中に響いていた。
自分の声で「群青」を歌った子どもたちからは、それぞれの感性や感覚で歌詞に込められたものをとらえ、受け取った言葉が湧き出てきた。
「いま会えない人も同じ空を見上げていると思いながら、信じて歌いました」
「会いたくても会えない人だから、想像だけど(歌詞の)光景が頭の中に浮かんで、それを感じながら歌いました」

「東日本大震災のとき自分は生まれていなかったんですけど、この歌詞には辛いことがあっても前に進もうとしている気持ちが伝わってくる。だから立ち止まらずに前に進もうという気持ちで歌っていました」
工藤さんは子どもたちに語りかける。
「沖縄のコバルトブルーのあの海が、福島の群青の海まで繋がっているように、自分のその思いと歌詞にある思いがどっかでつながってる。それなんだよ、歌の力ってそれなんだよ」

3月、さつき小学校を含む県内の合唱団約80人が体育館に集まり、コンサートに向けた合同練習が行われた。福島で生まれた歌に込められた思いを、遠く離れた沖縄でも受け止め、寄り添い、少しでも多くの人に届けるための歌声が体育館に響き渡った。
海を越えて届く声、歌い継がれる思い
《響けこの歌声 響け遠くまでも あの空の彼方へも》

南相馬の子どもたちが日常の言葉の中で絞り出した思いが福島から沖縄へ届き、沖縄の子どもたちの歌声が再び海をこえて福島へと届く。歌に込められた思いは、歌い継がれる限り生き続ける。
《僕らの約束は 消えはしない 群青の絆》
沖縄テレビ
