2026年3月11日、東日本大震災の発生から15年が経ちました。私は3月末に福島第一原発や原発が立地する福島県双葉町を視察・取材しました。双葉町には災害の記録を伝える伝承館という建物があります。震災から15年、この建物は私たちに何を問いかけるのでしょうか。

福島県双葉町、福島第一原発の5・6号機が立地する町です。
「この双葉町では最大で16.5メートルの津波がこの町を襲ったということです。足元、私が歩いているこの道も津波で浸水したということです」
2011年4月当時、福島県内で約12%を占めていた避難指示などの区域は、今では約2.2%まで減少しました。
一方、この双葉町はまだ町の85%が「帰還困難区域」となっています。
この双葉町に建つ、東日本大震災・原子力災害伝承館。
津波や原発など甚大な複合災害の記録や教訓、そこからの復興の過程を風化させずに継承・発信し世界と共有しょうと2020年9月に開館しました。

【東日本大震災・原子力災害伝承館企画事業部企画広報課 池田明幸担当課長】
「津波に被災した消防車です。この地域の」
【原竹リポーター】
「津波で様々な家とかがれきとか木とかにもみくちゃにされてこの形に」
【東日本大震災・原子力災害伝承館企画事業部企画広報課 池田明幸担当課長】
「そういうことですね」

展示にはこんなものも。
学校で使われていた二つの時計。
一つは地震が起きた午後2時46分もう一つは津波が到達した午後3時38分で止まっています。

【東日本大震災・原子力災害伝承館企画事業部企画広報課室 井恒大副主任】
「これだけの原発事故がある中で除染をして故郷に帰ろうっていう取り組み自体が前例がない」
【東日本大震災・原子力災害伝承館企画事業部企画広報課 池田明幸担当課長】
「そもそも長崎、広島では除染という作業をやっていませんので、世界的にもそういった作業は珍しい、珍しいというか初めて」

屋上から双葉町を見ると津波で1階部分が無くなった家がまだ残されているのがわかります。

【東日本大震災・原子力災害伝承館企画事業部企画広報課 池田明幸担当課長】
「(震災当時の)建物がもう一個残っているんですけどホテルの陰になる。あえて残して、祈念公園の中に組みこんだという形ですね」

この双葉町には、46.4ヘクタールの敷地に、復興祈念公園が整備され、4月25日に開園される予定です。

【東日本大震災・原子力災害伝承館企画事業部企画広報課 池田明幸担当課長】
「福島に来て、福島のことを考えていただこう、それもあるんですけど、それだけではこの施設はない場所だと思う。必ず佐賀県の皆さんに役に立つようなそういった学びの場所であると我々も誇りに思っている」

【原竹】
震災から15年が経ちました。
私も実際に、取材・視察に行きまして、福島第一原発でも徐々に作業が進んではいるんですが、福島県の今の現状、そして今もまだふるさとに戻れていない方がいるということに、原子力災害、複合災害の爪痕の大きさを感じました。

【キャスター】
私も9年前に福島で取材しましたが、当時被災者の方から佐賀も決して他人事ではないと言われたのが、今でも心に残っています。
同じ原発立地圏だからこそ、より自分事として考え続ける必要がありますよね。

【原竹】
佐賀県にも玄海原子力発電所があります。
改めて玄海原発のこれまでとこれからを簡単に振り返ります。
玄海原発には1号機から4号機までの4基の原子炉があります。
福島での事故以降、より厳しくなった新規制基準をクリアし、3・4号機が2018年に再稼働しました。
一方、1・2号機は廃炉作業が進んでいます。
これまでは放射性物質を含まない設備の解体を行っていましたが、今年度から原子炉周辺の低線量設備の解体撤去に着手する方針です。
また、原発関連の動きでは、玄海町が高レベル放射性廃棄物、いわゆる核のゴミの最終処分場の選定に関する文献調査を受け入れてから、6月で丸2年が経ちます。

【キャスター】
東京都小笠原村の南鳥島でも文献調査の動きがあり、村長が来週にも考えを表明すると言われています。
ようやく他の地域でも議論が行われるようになりましたね。
【原竹】
文献調査の期間は2年が見込まれています。
次の段階の概要調査に進むかどうかが今後の焦点ですが、山口知事は一貫して反対を表明しています。
以上取材報告でした。

サガテレビ
サガテレビ

佐賀の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。