「俺は宇奈月のゴッホだピカソだ、世界で俺が一番うまいんだ」――かつてそう豪語した男が、右半身の不自由を抱えながら今も左手でキャンバスに向かい続けている。黒部市の橋本英圀さん、88歳。仲間や家族に支えられながら、富山のピカソの創作活動は止まらない。

鉄工所の片隅に、アトリエがある

黒部市の鉄工所の一角に、小さなプレハブがある。1人でキャンバスと向き合う橋本英圀さん(88)の姿がそこにある。

「立山を描いとるとこ。左手で描かんなんがやちゃ」

広島県出身の橋本さんは、疎開先の宇奈月町で27歳のときに鉄工所を立ち上げた。社長業を営む傍ら、独自の作風で創作活動を開始。工場の廃材から芸術作品を生み出し、奇抜な絵を描く姿勢が注目を集め、「富山のピカソ」という異名をとった。その活躍はヨーロッパやアジアなど海外にまで及んでいる。
2度の脳梗塞、それでも筆を手放さなかった
転機は11年前に訪れた。脳梗塞を発症し、右手が不自由になった。医師からは「筆を持つことはもちろん、感覚すら戻らない」と告げられた。仕事、趣味、創作活動と多忙な日々を送っていた橋本さんにとって、それは突然の試練だった。

しかし橋本さんは諦めなかった。懸命なリハビリを経て活動を再開。だが2年前、脳梗塞が再発する。現在は週5回デイサービスでリハビリを続けながら、左手で絵を描き続けている。
長女の高橋邦子さんは父の変化をこう語る。
「前までは主に人を描く感じで、原色で自分の中で見える人を描いてる感じだった。今年は立山連峰で……心も穏やかな感じなのかな」

動かないと言われた右手の代わりに、左手が動いている。それは「描きたい」という一心がなせる業かもしれない。
宇奈月のアトリエに眠る40年の軌跡

宇奈月にある橋本さんのアトリエには、40年にわたって描き続けた作品が所狭しと並んでいる。初めての出品で美術展に入賞した作品、ヨーロッパやアジアで展示された作品……。
邦子さんはそれらの作品が埋もれてしまうことを気にかけている。

「このままで誰にも見てもらわないと。このまま置いとくよりも、みなさんの集まる場所に展示してお茶やお酒を飲みながらこの絵を見ながら感じていただけたら、そういう場所を作りたい」
地域の人々が気軽に集まり、橋本さんの作品と出会える場所。その実現に向けた邦子さんの思いは、父の創作活動を次の形でつなごうとしている。
仲間と歌う、月に一度の時間


今の橋本さんの楽しみのひとつが、リハビリを兼ねた月に一度のカラオケだ。20年来の仲間たちが集まり、ともに歌う。

「朗らか、陽気な人、元気いっぱい」「倒れたということで見舞いに行った。行った時はこういう言葉しゃべれなかったけど、歌だけは忘れんと」
仲間の言葉が、橋本さんの人柄を物語る。

先日開かれた米寿の祝いの会には、気の合う仲間50人が集まった。大カラオケパーティーで、橋本さんは家族とともに大好きな歌を歌い、会場を盛り上げた。会場の入口には、初期の作品から左手で描いた最近の作品まで約20点が展示され、訪れた人たちは口々に感想を述べた。

「色がすごいきれい」「改めて見たら若々しい色使いですごい」
「ずっとずっとずっとずっとです」
いつまで絵を描くのか、と問われた橋本さんはこう答えた。

「ずっとずっとずっとずっとです」
仲間や家族、好きなものに囲まれながら、88歳の富山のピカソの創作活動は続いていく。
(富山テレビ放送)
