東日本大震災を機に進む、情報のバリアフリー。震災と原発事故では、住民の避難をめぐり情報が錯綜した。こうしたなか、大きな困難に直面したのが聴覚に障がいを持つ人々だった。15年経った今を取材した。
聴覚障がい者の3.11
2026年3月1日に福島県福島市で開催された「福島県ろうあ者大会」。
手話や聴覚障がい者への理解を深めてもらうことを目的としている。
スタッフとして来場者の案内役を担当した佐藤賢二さんは、15年前、生まれ育った福島県飯舘村で被災した。
「震災後は混乱して、何が起きているのかなと言うことでびっくりしました」
原発事故の影響で、佐藤さんは飯舘村から避難先を転々とした後、2016年に福島県南相馬市に移住。一緒に避難した母・常子さんは2年前に他界した。
「母は飯舘村に帰りたいという気持ちが強かったと思います。南相馬市のアパートにいても、時々朝になると『飯舘村は向こうだね』ということを言っていた」
情報収集の難しさ
佐藤さんは普段、必要な情報の多くをテレビの映像から得ているが、当時は母・常子さんの口話だけが頼りだったという。
東京電力・福島第一原発で事故が起きていたことを知ったのは、姉が住む山形へ避難した後だった。
「ラジオも聞くことはできませんし、母が何か言ってくれるけども、なかなか口話だけでは通じないところがあって」
災害時、孤立する障がい者
耳が聞こえる人と聞こえない・聞こえにくい人を隔てる「情報の壁」は、多くの聴覚障がい者が直面していた。
震災の翌年に福島県内の聴覚障がい者を対象に行われたアンケート結果からも、孤立の状況が浮彫りとなった。
【何が起きているのかわからないので、情報を教えて欲しい】
【聞こえないので、話している人たちに、まざれない】
当時、こうした意見への対応を担ったのが、福島県聴覚障害者協会の事務局長を務める小林靖さんだ。
会員の安否の確認や被害状況の情報収集、原発事故に関する手話講座の開催などに追われた。
小林さんは「テレビの字幕もない、通訳のワイプもない。情報が入ってこないというような状況でとても不安だった。協会本部として安否確認に1カ月間もかかった」と語る。
ビデオ通話が普及していなかった当時、主な連絡手段はメールやファックス。日々更新される詳細な情報を伝えるには不向きだった。
「やっぱり手話が必要。実際に顔と顔を合わせて、会って話することが重要。メールだけ、文章だけでは内容を掴むことができない」と小林さんはいう。
東日本大震災を教訓に
こうした混乱を教訓に、国や自治体は「情報のバリアフリー」を推進。
2011年に改正された「障害者基本法」では、国や自治体に対し障がいがある人が情報を得たり利用したりできるようにする環境の整備を行う責任が定められた。
震災の2年後には福島県聴覚障害者協会の中に情報支援センターが設置され、緊急時の情報発信や手話通訳者の派遣などを担うようになった。
また手話を使いやすい社会を目指す「手話言語条例」も、現在までに福島県を含む県内31の自治体で制定されている。
福島県聴覚障害者協会の小林さんは「社会が大きく変わるということはないけど、少しずつ良く変わってきている」と話す。
情報のバリアフリーへAI活用
2026年度中に条例の制定を目指すいわき市では、2025年12月から手話を翻訳するシステムが導入された。
「SureTalk(シュアトーク)」は、カメラとマイクを使ってAIが手話を解析し、リアルタイムで文字に変換。災害時に避難所などでの活用も期待されている。
実際に使ったことがある人は「手話通訳者がいないときに、これがあれば非常に助かります」と評価する。
いわき市障がい福祉課の若林礼佳さんは「例えば避難所とかにあったらコミュニケーションが取りやすいということがあると思う。そういったことも将来的にできるようになるといいのかなと思う」と話す。
少ない手話通訳者 障がい者が住みよい環境を
しかし「情報のバリアフリー」が少しずつ進んできた一方、福島県内の手話通訳者の数は震災前からほぼ横ばいの約120人にとどまり、災害時のきめ細かい対応には不安が残る。
福島県聴覚障害者協会の小林さんは「手話は聞こえない・聞こえにくい人にとって必要だということを訴えている。そういう人たちが住みやすいような環境を作っていくということが協会の役割」と話し、制度の充実とともに障がいがある人への理解が社会に広め、助け合う気運を高めていくことが重要だとした。
(福島テレビ)