東日本大震災から15年が経った今も、福島県の内外で避難生活を続けている人がいる。埼玉県の北東部に位置する加須市。故郷から遠く離れたこの地で、避難した町民はいま何を思うのか?

■発災直後 加須市へ
原発事故により、約200キロ離れた埼玉県に役場ごと避難した福島県双葉町。廃校になっていた加須市の旧騎西高校では、一時1400人を超える町民が共同生活を送った。
その後2013年6月に、役場機能を福島県いわき市に移す。避難生活が長引くにつれて、加須市から福島県内や他の場所へ移動する町民も増えていった。
双葉町では除染やインフラの整備が進められ、2022年に一部の避難指示が解除。新たなまちづくりに取り組んでいる。
一方、加須市には現在も349人が生活している。(※双葉町・加須市どちらにも住民票がある人含む)

■故郷とのつながり
鵜沼久江さん(72)。15年前、双葉町から避難して以来、埼玉県加須市で生活している。
「精神的に落ち着く。双葉に帰った皆さんは『双葉に帰ってこい。よく眠れる』という。私もそうだと思う。向こう(双葉町)に行ってホテルに泊まるけど、眠れる」
月に一度は双葉町に帰っているという鵜沼さん。故郷とのつながりを大切にしているが、寂しさも感じていた。
「双葉町に行っても、新しい家が建ったので自分の住んでいた双葉町という感じではない。もう知らない町。全部を更地にしても、まだまだ自分の住んでいたところに帰れない」
故郷がどのように変わっているか、同じく避難した町民に今の様子を伝え、町への関心をつなぎとめようとしている。

■双葉に帰ったら農業を
「双葉に帰って一番先にできる農業って、なんだろうって考えた」
双葉町ではコメを作り、牛を育てていた鵜沼さん。加須市に避難してから間もなくして野菜を作り始めた。
「楽しいですよ。この野菜ができたから売ってみよう、いくらで売るかな、何個売れるかなと、毎日毎日がとっても楽しい」
双葉町で自分が営農する環境はまだ整えられていないと考えている鵜沼さん。だからこそ加須市で育てた野菜には、大切な思いを込めている。
「原発の町から避難してきて野菜作って売ってるとんだよと、双葉に帰れたら明日にでもやる。やりたいなという希望がありますね」
双葉町、そして福島県を離れて15年。長い時間を経ても「帰りたい」という鵜沼さんの思いは変わることはない。

■加須に残ることを決めた人
加須市で生活している双葉町埼玉自治会の会長・吉田俊秀さんは「かつて双葉町で商売をしていた。いまは子供たちが双葉町で事業を再開してくれているので、私は加須市で過ごしていきたいと思っている」と話す。
加須で暮らす双葉町民の交流はいまも続いていて、イベントや旅行などで集まっては親睦を深めているという。
双葉町とはつながっていたいという吉田さんは、双葉町の住民票はそのまま。「15年はあっという間だった」とこれまでを振り返り「加須にいる双葉町民と共に、町の復興をみつめていきたい」と語った。

復興という言葉を何度も耳にしてきた15年だが『帰りたくても帰れない』そんな思いがあることを私たちは忘れてはいけない。

福島テレビ
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