北九州市民の台所『旦過市場』(北九州市小倉北区)。老朽化した市場が生まれ変わるための再整備事業が進むなかで、100年以上の歴史を紡いできた酒店が閉店した。転換点を迎える旦過市場とともに歩んできた酒店を追った。
北九州市発祥の“角打ち”
多くの客で賑わいをみせる北九州市民の台所、旦過市場。入り口から商店街を抜けていくと心地よく日差しが漏れる場所にその店はあった。ずらりと並べられた酒瓶に、立ち飲み用のテーブル。創業100年以上の歴史がある老舗の角打ち『赤壁酒店』だ。
「お酒とか品物とか見ていたら、このお父さんとこんな話したなとか、すね…」と話すのは、店の5代目の森野敏明さん(48)と母で4代目の秀子さん(73)。2022年の大規模火災による店舗移転後も2人で切り盛りしていた。
北九州市が発祥と言われる角打ち文化。その象徴ともいわれるレトロな雰囲気が漂っていた店内。さまざまな人に愛されてきた歴史が伺える。

5代目の敏明さんは「時代の流れに流されないように必死に捕まって逆行していた方じゃないですか。どっちかといったら。ペイペイとかも絶対導入しなかったし」と振り返る。会計は、現金だった。
戦後の混乱期 闇市として活性化
これまでさまざまな苦境に見舞われてきた旦過市場。大正時代初期、人が集まりはじめ、自然発生的に市場の機能を持つようになった。

赤壁酒店は、その始まりから市場と共に歩みを進めてきたのだ。初代店主は、森野勘市さん。秀子さんの祖父に当たる人物だった。

「闇市だったんですよ、戦時中は。うちはここら辺の配給とかをしていて」と話す4代目の秀子さん。
戦後の混乱のなかで、市民生活を支える闇市として機能した旦過市場。秀子さんは、当時の活気を子どもながらに覚えているという。

「活気があった、今の旦過とは違う、ものすごいエネルギーがあった。魚屋さんの長靴の跡がつくし、魚の鱗がつくし、人が出入りし易くするため、床は汚いままで、きれいにしちゃいけない」(4代目・秀子さん)

闇市だった旦過は、時代とともに、いつしか市民生活に欠かせない市場へとなっていく。しかし紡がれた歴史のなかでは、災害にも見舞われてきた。
2度に渡る大規模火災「もう力が抜ける」
2010年7月には、傍を流れる神嶽川が氾濫。多くの店が浸水の被害に遭った。「水に浸かりながら刺身を引きよる人おったよ」と話す秀子さん。抗えない自然にその“商魂”で立ち向かっていた。
そして2022年4月。木造の店舗が密集する一帯を炎が襲い42の店舗が被災する大規模火災が発生。「火を見るしかなんもできなかったから。うちは火事で燃えなかったからよかったけど」。2人は、炎の前で立ち竦むことしか出来なかったという。
さらに、その4カ月後、再びの大規模火災。けが人はいなかったものの2度に渡る大火で被災した店舗は87に上った。そのときの取材で敏明さんは「もう力が抜ける、今回は魚屋さんたちも被害が凄いけんね、もう旦過ダメになるよ」と辛そうに話していた。
赤壁酒店は被害を免れたものの、森野さんは旦過市場を再生させるため復興に向けてその後、奔走する。

「水にも負けないし、火にも負けない」(敏明さん)。「それが旦過の商売人の底力」(秀子さん)と2人で前を向いていたが…。
2026年2月 100年以上の歴史に“幕”
復興が進む市場。火災が起きる前から赤壁酒店をはじめとする一部の店舗は、ある決断を迫られていた。防災の観点などからの再整備計画だ。

計画では、赤壁酒店があった場所などに地上4階建ての複合商業施設を建設することになり、100年の歴史を持つ赤壁酒店の店舗も2024年に解体された。

赤壁酒店は、ひとまず営業続行を決断。仮設店舗に移転し、営業を続けながら森野親子は悩み続けた。複合商業施設に入るか、閉店するか。

「親から受け継いだものが『これで無くなったんだ』『無になった』という感じ。ここは仮店舗だから名前だけ。親のものじゃないから」(秀子さん)。

「そのままの安い価格を維持出来ていくのか管理費、火災保険が商業施設になると跳ね上がるので、やっぱり安いから皆さんうちで飲んでくれるのであって、新しく入ったから、今までこの値段だったのが、ちょっと上がりますからというのが、僕たちも心苦しいし、だからちょっと1回、移らないという決断に至りました」(敏明さん)。
そして、2人が決断したのは“閉店”だった。

変わりゆく、北九州市の台所。時代のうねりを見つめてきた“旦過の象徴”。2026年2月21日、100年以上に及ぶ、その歴史に幕が下ろされた。
(テレビ西日本)
