突然訪れた「産めない」宣告
しかし、2年以上が経っても妊娠の兆しは見られなかった。検査の結果、裕太さんの精子の状態が思わしくないことが分かった。話し合って不妊治療を始めた。
タイミング法を経て、体外受精に進んだ。
連日の注射にホルモン療法の副作用を乗り越え、採卵。一度目はうまくいかなかったが、二度目の挑戦で受精卵を5つ作ることができた。次のステップは、いよいよ受精卵の子宮への移植。
少しずつ前に進んでいる。そう信じていた。
平穏は、突然崩れた。
移植前に、医師の勧めで受けた検診の数日後、病院から電話で呼び出された。嫌な予感が胸をよぎった。
精密検査の末、医師から告げられた病名は、“子宮がん”だった。
頭が真っ白になった。
医師の言葉は続いた。腫瘍が大きく、再発リスクを抑えるには子宮と卵巣の摘出が必要。命を守る選択は同時に、「産めない」という宣告だった。
手術は無事に終わった。転移はなかった。安堵と喪失感が入り混じり、涙が優美さんの頬を伝った。
“命救ってくれた”5つの受精卵
術後数週間で、職場である歯科医院に復帰することができた。これまでと変わらない生活に戻るだけ。
優美さんはそう自らに言い聞かせていた。
しかし、手術から約1年が経った冬の夜、帰宅した優美さんに裕太さんは静かに切り出した。
「どうにか、産ませてあげる方法はないかな」
今も病院で保管されている5つの受精卵。その存在が病気の早期発見につながった。
あの小さな命が妻を救ってくれたのではないか。
「だからこそ生まれてきて欲しいと思って」
裕太さんが自ら調べ、提案したのが、他の女性の子宮で夫婦の受精卵を育ててもらう「代理出産」だった。
自分の身体ではもう叶わない。でも諦めきれない思いを、密かに汲んでくれていた夫の思いが嬉しかった。
二人は、代理出産に挑戦することを決意した。
代理出産に立ちはだかった「壁」
だが、すぐに壁が立ちはだかった。
国内では、倫理的問題や子の法的地位の不安定さなどを理由に、日本産科婦人科学会などが代理出産を認めない立場を取っている。事実上、代理出産はできない。
選択肢は海外に限られる。
実施例が多いのは、代理出産が合法化されている米国(一部州を除く)やウクライナ、ギリシャなどだが、インターネットで調べても日本人の経験談は限られていた。自ら代理母を探すのはあまりにも困難だった.
費用の壁も高かった。
現地での出産費用や、公的書類の作成や申請料、渡航費用、仲介業者への手数料、代理母の報酬などで、米国では3~4千万円が相場。ウクライナなどは1千万円弱で済む場合もあるが、戦時下の情勢を考えれば、安心して踏み出せる状況ではなかった。