悲劇はまた繰り返されてしまった―

10月16日、パリ郊外・コンフランサントリーヌの路上で近くの中学校の歴史教師・サミュエル・パティさん(47)が首を切断されて殺害されているのが見つかった。警察は近くにいた18歳の男を容疑者として射殺した。

パティさんは事件の数日前、表現の自由を教える授業で、イスラム教の預言者・ムハンマドの風刺画を見せていた。フランスの捜査当局などによると、これによってパティさんや学校は脅迫を受けていたという。

パティさんを殺害したアブドゥラフ・アンゾロフ容疑者はロシア出身のチェチェン系で、射殺される際にはアラビア語で「神は偉大なり」と叫んでいたとされ、フランス捜査当局はイスラム過激派によるテロ事件として捜査している。

サミュエル・パティさんの国葬 運ばれるパティさんの棺
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ムハンマドの風刺画とそれを問題視するイスラム過激派によるテロ。フランスでは2015年1月の風刺新聞シャルリ・エブド襲撃事件以来、こうした事件が繰り返されている。

編集者や風刺漫画家ら12人が犠牲になったシャルリ・エブド襲撃では、ムハンマドの風刺画を繰り返し掲載していた、シャルリ・エブドのパリ市内の本社にイスラム教徒の2人の男が押し入り、銃を乱射した。2人の実行犯は逃走後、立てこもり事件を起こして射殺されたが、犯行を手助けしたとされる被告の裁判が2020年9月2日に始まった。

シャルリ・エブドは事件を風化させないとして、ムハンマドの風刺画を再び掲載した。これにはパキスタン外務省の報道官がツイッターで「最も強い言葉で非難する。何十億ものイスラム教徒の心情を傷つける」と投稿するなど、イスラム諸国や信仰者たちの強い反発を招いた。また、シャルリ・エブドの社員が国際テロ組織・アルカイダから殺害予告を受けていたとの現地報道もあり、緊張が高まっていた。

9月25日には、シャルリ・エブドの本社がかつて入居していたビルの前にいた男女2人が刃物で刺され重傷を負う事件が起きた。パキスタン出身のザヘル・ハサン・マフムード容疑者(25)は本社の移転を知らず、「シャルリ・エブドを狙った」と供述しているということだ。

シャルリ・エブド旧本社の壁に描かれた犠牲者12人の肖像画

<ムハンマド肖像画をめぐる一連の事件>

2015年1月7日

シャルリ・エブド襲撃事件

・イスラム教徒の男2人が銃を乱射し12人を殺害。

2020年9月2日

シャルリ・エブド事件 実行犯を支援したとされる被告らの裁判開始。

シャルリ・エブドがムハンマドの風刺画を再掲載。

・イスラム諸国が反発し、社員への殺害予告も

2020年9月25日

シャルリ・エブド旧本社前で男女2人が刃物で襲われ重傷負う事件。

・容疑者は「シャルリ・エブドを狙った」と供述。

2020年10月16日

歴史教師サミュエル・パティさん殺害事件

・事件の数日前、パティさんが表現の自由を教える授業でムハンマドの風刺画を見せ、パティさんや学校が脅迫を受ける。

・容疑者はロシア出身のチェチェン系。射殺される際、アラビア語で「神は偉大なり」と叫んでいた。

フランス人が支持する表現の自由の尊重

一連の事件についてフランスでは、表現の自由を尊重する立場から、被害者やシャルリ・エブドに対して、連帯の意思を表明する世論が大多数を占めている。

まず、シャルリ・エブドが風刺画を再掲載し社員が殺害予告を受けたことについては、100以上のフランスメディアが連名で「表現の自由を守る」という声明文を発表していた。2人が襲われた事件のあと、シャルリ・エブドがTwitterに掲載した「我々の理想と価値観のために戦い続ける」などとする投稿にも、多くの賛同のコメントが寄せられている。

シャルリ・エブドの声明と賛同したフランスメディアの署名

こうした中、パティさんが殺害された事件が起こると、フランスではより一層、表現の自由を尊重し、犯行を非難する世論が高まった。追悼集会が全土で開催され、首相や閣僚が参加して、大勢の市民とともに連帯の意思を表明した。

パティさんの追悼集会はフランス全土で行われた

さらに、パティさんの葬儀は国葬となり、出席したマクロン大統領は、「彼はフランスの顔となった。自由であることを教え続ける私たちの決意を表す顔になった」と弔辞を述べた。

自身が同意できない表現に対し、暴力を行使し、命を奪うという行為は決して許されない。その表現への抗議は、同じように表現や言論でなされなければならない。これは自明のことだ。一方で、私はフランス人たちがこれほど強硬に、他者が信仰する宗教というデリケートな部分を刺激する表現を続けたり、それを支持したりすることを完全には理解できない面もある。

シャルリ・エブドがこれまでに掲載した風刺画は、ムハンマドがイスラム教で禁じられている同性愛者であるように描いたものや、積極的にテロを支持するように描いたものもあり、イスラム教徒の反発を招くことは想像に難くない。

そもそもフランスの風刺画というのは強烈で、過去には東京オリンピックの開催が決定した際に、福島第一原子力発電所を思わせる壊れた建物の前で手が3本ある力士のイラストを掲載した雑誌もあったほどで、別の価値観を持つ人であれば、感情を逆なでされるものも多数ある。

表現の自由と世俗主義「ライシテ」

なぜフランスで攻撃的ともいえるイスラム教という一宗教への風刺が表現の自由の一環としてこれほど支持されるのか。その根柢を探ると、「ライシテ」という言葉に行きつく。ライシテとは日本語では世俗性とも訳され、いかなる宗教からも独立的であるとされる概念だ。これは、フランス憲法の第一条にも書かれていて、他国から移住してきた人には移民教育で教え込まれるほど重要なものだ。

フランスは絶対王政の間、カトリックが強い権力を持っていて、民衆が革命を通じて国民主権とともに信教の自由も勝ち取ってきた。それだけにいかなる宗教からも独立的であること、つまりライシテが重視されているのだ。

特に教育現場では、これが厳格に徹底されていて、公立学校で宗教的なものを身に着けることは禁止されている。フランス人に話を聞くと、キリスト教を想起させる十字架のアクセサリーでも、目立つものであれば注意されるというし、また、私が取材したイスラム教徒の大学生の女性は、ライシテに従って髪は隠さないが、自宅ではラマダンの断食をすると語っていた。

学校におけるライシテを教える移民向けテキスト

このようにライシテはフランス人であるならば、守らなければならない“理念”となっている。これを徹底するからこそ、フランス国民であるならば宗教への批判もまた、表現の自由の一環として擁護すべきということになる。

実際、マクロン大統領は、パティさんの葬儀で「私たちはライシテを高く掲げる。私たちは風刺画を描くことを、あきらめない」と表明している。

葬儀で弔辞を述べるマクロン大統領

ムハンマドを風刺する絵を新聞に掲載したり、授業で紹介したりすることで、テロの標的にされることは、フランスの重要な理念に対する攻撃を意味する。フランス人は、宗教から距離を置くからこそ、宗教を理由にフランスの表現の自由を侵害する人物や組織は許されないと考えるのだ。

フランスのイスラム教徒人口は約410万人に達する。移民によって信徒が増え続けた結果、イスラム教はライシテに反しているとして批判の対象となることが多い。2004年に学校で、2011年にはすべての公共の場で、イスラム教徒の女性が顔を隠すスカーフの着用は禁止された。

追悼集会でパティさんの写真を掲げる人々

日本で育った無宗教に近い私にとって、ムハンマドの風刺を冒涜ととらえ反発するイスラム教の考え方は信仰でもあり、とても強固なものに思えると同時に、フランス国民であるならば、ライシテやそれに沿った表現の自由、つまり国の理念を守るべきという価値観も同様に強いものだと感じる。双方の価値観が強いからこそ、衝突が起きてしまうのだと思う。

テロに走る過激主義は言語道断のもので、一連の犯行は断罪されるべきものだ。だが、相手の神経を逆なでする過激な風刺は今後も暴発的なテロを招きかねない。今回の事件を受けて、マクロン大統領が繰り返し風刺画を擁護したことによって、イスラム諸国がフランス製品の購入をボイコットしたり、各地でデモが起きたりするなど、波紋は広がり続けている。

繰り返されてきた悲劇を前に、フランスはこの2つの価値観の対立にどのように向き合っていくのだろうか。

【執筆:FNNパリ支局 藤田裕介】