東日本大震災から15年。当時小学2年生で、津波で父と伯母を亡くした宍戸ひかりさん(23)。「寂しい」と言えなかった少女は、自らの経験から子どもたちに寄り添う養護教諭の道を歩み始めた。15年の時を経て、今あふれる思いとは。
津波で父と母代わりの伯母を亡くす
「何も残ってないけど、住んでいた場所になります」
宍戸ひかりさんは、様々な葛藤と共に“あの日”からの15年を歩んできた。
津波で多くの人が犠牲となった福島県相馬市原釜地区。かつて宍戸さんの自宅があった場所は、きれいに整備され、緑が植えられている。
「あれだけ瓦礫の山だったのがきれいに整備されて、復興が進んでいるっていうのを感じるなかで、15年前ここで暮らしていた人たちもいたんだよなっていう、自分もここにいたんだよなっていうのを感じました」

当時小学2年生だった宍戸さんは学校にいて無事だったが、父親の光一さんと、母親代わりだった伯母の臼井ヤスノさんを津波で亡くした。
保育園の送り迎えの際に、父と一緒に車で通った道。そこからはいつも海が見えたという。
「天気いい時はずっと窓に張り付いて、窓から『きょう海きれいだね』って話しながらいつも送り迎えしてもらっていました」
「誰かの力に」子どもに寄り添う道へ
宮城県の大学を卒業した宍戸さんは2025年、福島に戻った。
「地元の学校で、自分の頑張ってきたこととか、やってきたことをやりたいなと思って…」
宍戸さんが選んだのは、養護教諭の道だった。現在は福島県二本松市の小学校に助教諭として勤務し、教員採用試験の合格を目指して仕事と勉強に励んでいる。

「誰かの力になれるような、寄り添える職業って何だろうなって考えた時に、心理カウンセラーか養護教諭が思い浮かんで。養護教諭の方が子ども達のことをずっと長い間見ていられるし、自分自身の学生生活を振り返っても、色々サポートしてもらったことがすごくあったので」
慣れないことも多いが、子どもたちの素直で元気な姿から活力をもらい、毎日働けていると話す。
「よくわかんない」押し殺した本当の気持ち
子どもたちと接する日々の中で、震災当時の自身の気持ちを思い出すことがあるという。
震災当時、インタビューで「いまでもママやパパに会いたいなと思う時ある?」と問われた宍戸さんは、「んーよくわかんない」と答えていた。
「強がっていたり、大人に迷惑かけちゃいけないと思っていたり。そういう自分の気持ちを押し殺していた時があった」と、宍戸さんは当時を振り返る。

父や伯母の話を振られても、どう答えていいか分からず、「わかんないです」という言葉を繰り返していた。
「やっぱり父たちがいなくて、さみしいっていう気持ちを、周りの大人に伝えることがあんまりなかったので。やっぱり素直に、寂しい、会いたいっていう気持ちを打ち明けられなかったのはありますね」
15年経て伝えたい「頑張ったね」
当時は話すことができなかった本当の気持ち。
「子どものときはこうやって、自分の気持ちを話すことができなかったので、大人になってから自分の気持ちをはき出せるって大事だなって思いました」

もし、当時の自分に声をかけるとしたら。
「頑張ったねって、一言だけ伝えてあげたいです」
あの日のことを受け止めながら、宍戸さんはこれからも前に歩んでいく。
(福島テレビ)