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東日本大震災の発生からまもなく15年。
被災地では人口減少が加速する一方で、外部から移住し、その土地で新たに根を張る人々が増えている。
震災前の2010年に約234万8000人だった宮城県の人口は、2024年には約224万7000人へと、10万人以上減少した。
その一方で、東京圏の相談窓口を経由した移住者は、10年前と比べて約21倍に急増している。
15年という年月をかさねた今、移住者が地域にもたらす真の価値とは。

神戸から宮城へ。「忘れない」ための決断

仙台市にある宮城県第二工業高校で教鞭を執る岡田卓也さんは、神戸市の出身だ。
高校3年生の時に阪神淡路大震災を経験し、自宅も被災した。
東日本大震災の直後には石巻市でボランティアに従事した。

岡田さんが教えている高校生たちには、15年前の東日本大震災の記憶はほとんどない。
そんな彼らに、岡田さんは阪神淡路大震災の経験や、東日本大震災でボランティアに入った経験を伝えている。

東日本大震災から3年後、岡田さんは宮城県への移住という大きな決断を下した。
その背景には、神戸での何気ない会話から感じた「風化」への危機感があった。

岡田さんは震災直後からボランティアに訪れていた
岡田さんは震災直後からボランティアに訪れていた

神戸から移住した 岡田卓也さん:
震災から2年目くらいの時、ボランティアに行く話をしたら、「また行くの?」「何しに行くの?」と言われた。神戸で被災している人たちも、2、3年経つとみんな忘れちゃう。

そんな会話から、自身が宮城に移住することで、被災地同士のつながりを生み出そうと考えた。
岡田さんは今、自身の経験を生徒たちに語り継ぐことで、二つの震災を繋ぐ架け橋となっている。

「よそ者」を受け入れる懐の深さと、定着の壁

神奈川から移住した 渡邊国権さん
神奈川から移住した 渡邊国権さん

気仙沼市では4年前に神奈川県から移住した渡邊国権さんが、空き家のリノベーションに汗を流している。学生時代のボランティアで出会った人々の温かさに触れ、家族とともに移住を決意した。

神奈川から移住した 渡邊国権さん:
第二の故郷のような場所。よそ者の自分を受け入れてくれた懐の深さを気仙沼市に感じた。自分自身もそういう大人でありたいなと思えた。

しかし、移住の現実は甘いものばかりではない。共に作業する地元出身の熊谷俊輔さんは、移住者の「定着」の難しさを、長年の経験から冷静に見つめている。

熊谷俊輔さん
熊谷俊輔さん

地元・気仙沼市出身 熊谷俊輔さん:
正直、何年かするとまた別の地域に行ったり、ほかのところに移住したりというケースが多かった。本当に移住をして定着して、そこでなりわいを見つけて動いていくという人は、本当に多くはないと、自分の中で感じていた。

「被災地」から「地方都市」への脱皮

定住センターMINATO 佐藤文香さん
定住センターMINATO 佐藤文香さん

移住者が地域に与える影響は、労働力の確保だけではない。
気仙沼市で移住支援を行う定住センターMINATOの佐藤文香さんは、彼らを「チャレンジャー」と呼ぶ。

定住センターMINATO 佐藤文香さん:
チャレンジャーが増えたことで、地元の人たちも、もしかしたら自分もできるのかなと一定の刺激になったと感じる。

震災から15年。佐藤さんは、今のフェーズにおける移住者の存在意義をこう強調する。

定住センターMINATO 佐藤文香さん:
気仙沼市に限らず全国で、被災地という感覚より、ひとつの地方都市としてどう生きていくかが問われていると思う。その中で移住者が来るとまちにとって、新しい風が吹く。こういう生き方をしている人もいるということが、まちにとってすごく良い循環を生み出す。

震災をきっかけに出会った「地元の人」と「移住者」が、被災地という枠組みを超え、共に新しい営みを築き上げる。人口減少社会という共通の課題に立ち向かう地方都市にとって、その共創こそが、次なる15年を切り拓く鍵となるのかもしれない。

仙台放送
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