特集は、災害時の避難行動についてです。
東日本大震災では、至るところで避難中の車による渋滞が発生し、多くの人が犠牲となりました。
いつ起きるかかわからない災害。いのちをつなぐための避難行動を考えます。
(VTRの中に、震災当日の津波の様子や津波被害のシミュレーション動画が流れます。)
東日本大震災が起きた直後、石巻市日和山で近くに住む人が撮影した映像です。
高台に逃げようと道路は車であふれかえり、長い渋滞が発生しているのが分かります。
当日、石巻市内で渋滞に巻き込まれた一人、草島真人さんです。
車で走っていた時、揺れに襲われました。
草島真人さん
「信号機は全部消えたし、信号機自体が真っすぐ立っていないし、道路は波打っている」
余震が続く中、門脇小に向かった草島さん。
しかし、到着した時にはまだ避難所として開設されておらず、草島さんは、避難所で使う物資を取りに行くため、海から80メートルほどの場所にある自宅に戻ったそうです。その時…
草島真人さん
「堤防が見えないけれど、堤防の数倍高い海の水平線が(見えた)。それが崩れて、数百メートル先にもっと高い盛り上がった海があって」
巨大な津波が見えたといいます。
津波から逃れるため、日和山に向かいましたが、近づくにつれて渋滞がひどくなり、草島さんは車を捨てて逃げました。
後ろを振り返ると、多くの車が津波に流されていました。
草島真人さん
「津波から逃げているはずなのに、突然近くの家が爆発して。水しぶきで家がどんどん消えていく。辺り一体そうなっていた。助かった人でも何かがちょっと違っていたら、自分が死んでいた」
津波の恐れがある度に繰り返されてきた渋滞による混乱。逃げ遅れによるリスクが高いため、津波避難は原則徒歩とされていますが、実際は車に頼る人が少なくありません。
去年7月、カムチャツカ半島付近の地震により津波警報が発表されましたが、宮城県が調査したところ、避難した人のうち66.4パーセントが車を使用。徒歩は29.5パーセントに留まりました。
津波がまちを襲った場合、車で避難していたとしたら…それを可視化した映像があります。
北海道厚岸町が作成したCG映像です。
津波は時速40キロほどのスピードで遡上。一気にまちに入り込みました。
避難しようとした車も…行き場を失い押し流されました。
災害時の避難行動を研究する、東北大学災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授です。
県内で車の避難が減らない理由に、東日本大震災での経験があると指摘します。
佐藤翔輔准教授
「車を失ってしまった経験をした人がたくさんいる。その人たちは避難した後、車が無かったことで避難生活の対応や生活再建にさまざまな支障をきたした経験がある」
沿岸部に暮らす人たちは、津波避難について、今、どう考えているのでしょうか。
沿岸部に住む人
「とっさの場合だから車でというのが頭にある。もし近くに高台があれば高台に歩いて逃げる」
「徒歩はありえない、高台まで距離がある」
「自分で走るより車の方が早い。できるだけ早く逃げたい」
佐藤准教授は、避難する時に本当に車でないと逃げられないか、行動に移す前、今一度考えてほしいと話します。
佐藤翔輔准教授
「東日本大震災が起きた後、今の街づくりを考えると多くの地域で防潮堤が整備されたり、道路が高台化されたこともあって徒歩で避難できない状況にいる方はかなり少なくなってきている。想定されている以上の人が車で避難をすることは、想定以上に渋滞の発生可能性が高まる。もしかしたら、津波にさらわれてしまう人が増えてしまうかもしれないことを踏まえ、地域の中でどのような避難行動をするのか、改めて考えていただきたい。」
地域の中で避難を考える…。
15年前、避難途中に、渋滞に巻き込まれた草島さんも、その大切さを痛感していました。
あの日、草島さんは同じように渋滞に巻き込まれた人たちに、避難を呼びかけたと言います。
草島真人さん
「津波が来るぞ!逃げろと大きな声叫んだ時に、当然みんなが逃げると思ったら、いきなり大きな声を出して、何言っているのかなみたいな視線しかなくて」
伝わらなかった”命の危機”。
草島さんはあの日の教訓を胸に今、地域の人と関わりを持とうと、公園の清掃活動や花壇の管理などを自主的に行っています。自分自身を地域の人に知ってもらうためです。
草島真人さん
「東日本大震災が起こるまでの自分の生き方がそこ(伝わらない呼びかけ)につながった。こういう活動を日ごろから一生懸命やって、そういう私が必死に呼びかけたら付いて来てくれる人がいるだろう。そういうようなことが災害に強い街づくりの一歩かなと思っている」
自分だけでなく、周りの人も助かるために…。
自分にとって、車避難は、本当に適切なのか…今一度、考えることが大切です。