希望から失望 結党から7カ月での消滅

自民党総裁選挙に向けた動きが注目を集める一方、いまひとつ盛り上がりにかけたまま行われている党首選挙がある。
それが9月4日に投開票される国民民主党の代表選挙だ。

出馬しているのは玉木共同代表と津村衆院議員の2人。
しかし、思えば2人とも、去年の衆院選では小池東京都知事率いる「希望の党」から出馬していた。
その希望の党は、通常国会の真っ最中に消滅した。

去年は「希望の党」でした。 (左から)津村氏、玉木氏 
去年は「希望の党」でした。 (左から)津村氏、玉木氏 
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総選挙での惨敗を受け小池氏が党首から退く一方、党内の混乱が続いた結果、5月に民進党と合流して国民民主党に移行し、希望の党は解党となったのだ。
松沢参院議員らが立ち上げた現在の「希望の党」は党名を引き継いだだけで、形式上は別の党だ。

 いわゆる“小池旋風“に乗り、一時は「再び政権交代が実現するかもしれない」とまでいわれた結党からわずか7か月で消滅した希望の党とは、一体なんだったのか。
希望に満ちた結党から、失望を経ての解党に至るまでを取材した記者が総括する。

結党直後の高揚感、選挙後の失望感

華々しいデビューを飾ったが・・
華々しいデビューを飾ったが・・

昨年9月、希望の党の結党会見が華々しく行われ、当時の民進党の前原代表が希望の党への合流を決めた時、民進党系議員は刻々と変化する状況に戸惑いつつも「ある意味でワクワクしていた」と今の国民民主党幹部は振り返る。
「安倍1強」の打破、悲願の政権交代が叶うかもしれないという高揚感があったというのだ。
振り返ると、私も取材をしていて、「歴史的な場面に立ち会うことになるのかもしれない」と気持ちが高ぶった瞬間が確かにあった。

しかし結果は大敗、希望の党は政権交代どころか、立憲民主党の後塵を拝し、野党第一党にすらなれなかった。

選挙を終え、53人となった希望の党の議員はこぞって失敗の理由づけを始めた。
小池知事の「排除」発言、結党までの準備不足、前原元民進党代表の判断ミス…などなど。

「こんなことなら排除されて立憲民主党にいったほうがよかった」
こう嘆いた議員も1人や2人ではない。総選挙後、両院議員総会で再会した議員は疲労や困惑といった表情を浮かべ、こう口にした。

「なぜこんなことになってしまったのか」「自分は巻き込まれてしまった」
悲惨な現状の理由をなんとか他者に求めようとしている姿は哀れに見えた。

展望なし…追い詰められての新党合流

そして総選挙後、野党内では再び野党勢力を結集するためとして、野党再々編論や統一会派結成など、さまざまな思惑が飛び交った。

希望の党は、昨年末から年明けにかけて、民進党との統一会派結成を目指したが、失敗に終わった。
立憲民主党に近い議員も所属していた民進党内がまとまらなかったためだ。

「希望の党は失敗した。もう死に体だ」「元々、政策や思想でひとつになったんじゃないんだから、今の固まりではもうやっていけない」
支持率は低迷し、古巣との協力も見込めない。この時点で、多くの議員は希望の党に限界を感じ、消滅は時間の問題だと認識していたのだ。

そして5月に多くの議員は、民進党と合流して新たに結成した国民民主党に移行した。
しかし、追い詰められ、展望が開けない状況のなかでの再編は、新党への期待や希望に満ちたものとは言い難いものとなった。

結党メンバー“あの人は今…” 細野氏の苦闘

現在は自民党に接触か
現在は自民党に接触か

そして、希望の党の結党に参加し「チャーターメンバー」と呼ばれた14人のうち、辛うじて当選した議員たちは今、国民民主党、新たな希望の党、無所属などへとバラバラになり、それぞれの道を歩んでいる。

結党に重要な役割を果たした細野元環境相は希望の党では執行部に加わらず、5月の国民民主党の結成にも参加せず無所属となった。
「排除」に関わった当事者であることなどから、野党内に多くの敵を作り孤立してしまったことが理由の1つだ。

細野氏は希望の党の「敗因」「失敗」についてこう振り返る。
「小池氏に頼りすぎた。もう少し時間が欲しかった。解散が突然で小池氏に頼らざるを得なかった」

突然の解散により結党準備を急ピッチで行なわざるを得ず、政策や綱領の完成度が中途半端になってしまった反省があるという。
思えば結党から選挙戦に突入するまで多忙を極め、いらだちを隠せていなかった細野氏。
「解散のタイミングは敵ながらあっぱれだ」と自虐的に笑ったのが印象的だ。

そして細野氏は今、自民党への接触を強めていて、周囲にこのように漏らしている。
「もともと自民党と(安保政策などで)あまり違いがないのは分かっている」

細野氏に残された「希望」は、もはや自民党への入党以外にないのかもしれない。
ただ、自民党が受け入れるかというと、それも簡単ではなく、隠忍自重の時期が続きそうだ。

新党結成目指し自民党と連携模索

新党結成を模索するも・・・長島元防衛相
新党結成を模索するも・・・長島元防衛相

民進党で保守系の中堅リーダーだったが、いち早く離党し、希望の党結成に参加した長島元防衛副大臣も今、無所属として自民党との連携を模索している。

希望の党について「出ていっても行くところはない。ここ(希望の党)でやっていくしかないんだよ」と語っていた長島氏だったが、総選挙後に政調会長として党執行部に入ったものの、その後の国民民主党への移行には参加しなかった。
長島氏の周辺は「自民党に行けるものなら行きたい」と話すが、自らの選挙区には自民党の議員もいるため、現時点では難しい。

そこで長島氏として、新党を結成した上で自民党との連立政権や協力体制を目指したい考えだ。
しかし肝心の新党結成が広がりを見せる様子は今のところない。
希望の党のチャーターメンバーで無所属となった議員を中心に新党への参加を呼び掛けているが、結党に必要な5人が集まらないのが現状だ。

「元・小池側近」は今…

あっさり引退 若狭勝氏
あっさり引退 若狭勝氏

一方、結党のキーマンで、「小池氏側近」と呼ばれた若狭元衆院議員は、総選挙で落選すると「私が生んだ子供を無事に育ててほしい」と言い残してあっさりと国政引退を表明した。
「切り替えは早いほうだ」と自身が語るように、元検事、弁護士としてさまざまなメディアで活動しているところを見ると細野氏や長島氏よりは悩みが少なそうだ。

なぜ希望の党は失敗に終わったのか

小池氏は希望の党結成時、党名に込めた思いを「日本には希望が足りない。国民に希望を届けたい」と語っていた。

しかしそこにあったものは結局、国民の「希望」ではなく、小池氏の国政進出という「野望」、当時の民進党議員の政権奪取という「願望」だけだったのではないだろうか。
政治家たちの大きな野望、願望、思惑が詰まった船は、国民不在だったゆえに、コントロール不能に陥り、まるでタイタニック号のように華やかさのみを残して、政界という海の底に沈んでしまった。
「野党分断」という惨状だけを残し…。

「希望の党」のはずが「野望の党」に
「希望の党」のはずが「野望の党」に

今、野党議員は、それぞれの立場で「再結集」を語っているが、一度バラバラになったものはそう簡単には元に戻らないということは、通常国会で証明された。その結果、「安倍1強」「弱い野党」という状況は変わっていない。

 “小池ブーム”に安易に乗ってしまったことを今、悔やむ議員もいるが、「数」が集まっても「中身」が伴っていなければ、国民は最終的には見透かすということが、希望の党の失敗が残した教訓ではないだろうか。
野党議員には、小池氏の次に希望を託せる「誰か」を待つという“幻想”を抱くのではなく、自らの手で描く政権交代への道筋を現実的に考えてほしい。

(執筆:フジテレビ政治部 野党担当・寺田晃子)
 

寺田 晃子
寺田 晃子

フジテレビ 報道局 「イット!」担当 元政治部