創部から73年。宗茂・宗猛兄弟、谷口浩美、森下広一など、これまでに数多くのオリンピックマラソン選手を生んできた、旭化成陸上部。

90年代に誇っていた圧倒的な強さから一転、2000年代に入ると、新たな実業団チームが台頭し、なかなか結果を出せずにいた。

東京オリンピックが目前に迫る中、何とかマラソンの代表選手を出したい。旭化成陸上部の戦いに迫った。

前編では、これまでの旭化成陸上部の歴史や、活躍してきた選手を振り返る。また、2018年に行われたチームのオーストラリア合宿に密着した。

「日本代表選手を出すのが役割」その一方で…

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2019年元日、ニューイヤー駅伝で3連覇を達成した旭化成陸上部。18年間勝てなかったチームは、駅伝で完全に王者の地位を取り戻した。

しかし、名門陸上部に求められた、もうひとつの命題。

旭化成陸上部の宗猛総監督は、このように話す。

「日本で行われる東京オリンピックに、旭化成として、どうしてもマラソン代表選手を送り込んでほしいと思っています」

また、日本陸連強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古利彦は、危機感を募らせる。

「ありえないことが起きていますよね。旭化成からMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)に行ける人がいないというね。日本のマラソンのレベルを上げていくには、やはり旭化成が出てこなければいけない」

2020年東京オリンピック、旭化成からマラソン日本代表選手を出す。

「MGCでしっかり代表を取って、オリンピックで走りたい」(旭化成陸上部・村山謙太選手)
「MGCの出場権が取れれば、タイムも順位もいいかなという。最低限、本当に出場権を獲得するということだけを意識したい」(旭化成陸上部・大六野秀畝選手)

2人の注目選手はこう語るが、それは苦しく、険しい道のりだ。

2020年東京オリンピックの男子マラソン日本代表枠は3つ。3枠のうち2枠は、2019年9月に開催される国内の代表選考レース・マラソングランドチャンピオンシップ、略してMGCで決定する。

このMGCに出場するためには、まずはあらかじめ設定されたタイムをクリアし、出場権を獲得することが必須条件。その上で選考レースであるMGCで上位2人に入れば、東京オリンピックの出場が決定するのだ。

宮崎県延岡市に本拠地を置く旭化成陸上部。日本を代表する実業団陸上部だ。
オリンピック代表選手、日本記録保持者をはじめ、国内トップクラスの選手が数多く在籍している。
今回、東京オリンピックに向けて部員のおよそ半数が、マラソンでMGC出場を狙っていた。

チームを率いて6年目の西政幸監督は、現役時代マラソンで世界大会にも出場し、チームの黄金期を支えたひとりだ。

「旭化成陸上部は伝統があって、いろんな先輩方が築いてこられた。オリンピック選手をたくさん輩出してきたので、やはり代表選手を出すのが私たちの役割というか、使命であるというのは痛感しますね」

創部から73年。オリンピック世界大会を合わせると、これまでに21人のマラソン日本代表選手を輩出してきた名門陸上部だ。

過去所属した伝説の双子ランナー・宗兄弟。

兄の茂は、41年も前に日本人初の2時間10分切りを達成した。弟の猛も、その2年後に2時間8分台をマーク。兄弟そろって、長きにわたり日本長距離界を牽引してきた。

宗兄弟の最強のライバルとして、数々の名勝負を繰り広げた瀬古利彦は当時をこう振り返る。

「私がマラソン選手としてトップにいけたのも、宗兄弟がいたからだと思います。やはり宗兄弟が私を強くしてくれたというか、本当にライバルでしたね。2人に勝てなきゃいけない。私は1人しかいないから、宗兄弟は2人でしょ。どちらかが勝てば(優勝は)宗兄弟だったんです。宗茂、宗猛じゃなく、宗兄弟なんですよ。強かったですね。少なくともあの宗兄弟がいて、谷口くんがいて、森下くんがいて、児玉くんがいて。まあ、そうそうたるメンバーじゃないですか。私と同じ時期には、それだけのメンバーがいたわけですよ」

宗兄弟以外にも、谷口浩美(’92バルセロナ五輪代表、’96アトランタ五輪代表)、児玉泰介(元マラソン日本歴代最高記録保持者。’86北京国際2時間7分35秒)、川嶋伸次(’00シドニー五輪マラソン代表)が所属。

チームから世界レベルのマラソンランナーが次々に誕生した。

オリンピックでは1976年から男女を通じて、7大会連続で日本代表選手を輩出してきた。

バルセロナオリンピックのマラソン銀メダリストで、旭化成OB、現トヨタ自動車九州 陸上競技部監督の森下広一は、当時のチームをこう振り返る。

「今のチームの方がセンスもあるし、速いですね。だけど、何だろう。(昔のほうが)プライドはあったんじゃないですか。旭化成という歴史のプライドというか、負けないというか。絶対落とせない練習のときには、正式なユニフォームを着て走っていました。そういうユニフォームを着て怖がられていくっていうオーラもつけないといけない。つけてくれた先輩たちがいるんだから、それにしっかり乗っからないといけないし。強くない旭化成の子が来ていても、強く感じるんですよ、外から見たら。それってやはり歴史とか、伝統かなと思いますよね」

マラソンだけでなく、駅伝でも圧倒的な強さを誇っていた、常勝軍団・旭化成。ニューイヤー駅伝では、歴代最多 通算21回の優勝(1957年〜1999年)。

しかし、2000年代に入り、駅伝でもマラソンでも思うように結果が残せない時期が続いた。
マラソンでは、3大会連続でオリンピック出場を逃した。

ついに駅伝で日本一に。マラソンへの期待が膨らむ

2017年元日。ついに重かった扉が開く。

7区間、100kmのたすきをつなぐ駅伝日本一決定戦・ニューイヤー駅伝。7人中5人が入社2年目の若手ランナーというチームで、見事18年ぶりに日本一を奪還。

この年から3連覇を果たし旭化成は、駅伝で王者の地位を不動のものにした。
18年ぶりの優勝に湧くチーム。宗猛総監督は、レース後、こんなことを口にしていた。

「旭化成のチームは、駅伝があってマラソンがあって、その2つは両輪がうまく回って前に進めるチームだと思っています。今回ですね、なかなか回らなかった駅伝の車輪が動きだした。この勢いで今シーズン、マラソン登録の選手は絶対頑張ってくれると思っています」

駅伝とマラソンの両輪が動き出して、初めて完成する最強チーム。その目標に向かって、チームは前進していくかに見えた。

2017年にスタートした、東京オリンピックマラソン日本代表をかけた争い。続々とMGC出場権を獲得して行く各実業団の選手に対し、この年、旭化成からは、ひとりも出場権を獲得する選手が現れなかった。

MGCに出場するためには2019年4月末までのレースで、設定されたタイムをクリアしなければならない。

「当初は5人、6人はMGCに出せるんじゃないかと思っていましたので、非常に残念というか、厳しい。心の中でうまく整理できないのが2017年度だったなという感じでしたね。早く1人代表を、MGCに出る選手を出したいというのがあったので、焦りに繋がった。実際問題、これから厳しいんじゃないかという思いは結構ありましたね」(旭化成陸上部 西政幸監督)

旭化成陸上部の駅伝とマラソンの両輪について、瀬古利彦はこう話す。

「駅伝とマラソンは、本当は両立するのがベストな姿なんでしょうけど、やっぱり駅伝に勝とうとすると、どうしてもマラソンの練習がおろそかになっているんじゃないかというのはありますね。量の旭化成から、質の旭化成になっているような気がして。
昔は、宗兄弟を中心にして練習を物凄くやっている人たちが強くて、実力を出してるじゃないですか。そうすると下の連中も、やっぱり宗さんたちもあれだけ練習をやってるんだから自分たちもしなきゃということになるわけですよ。それがちょっと最近は違ってきたんじゃないかなというのは、外から見て思いますね」

オーストラリア合宿 チームの主力・村山謙太は…

2018年7月、旭化成陸上部は、オーストラリアでマラソン強化合宿を張っていた。

夏の走り込みは、冬のマラソンシーズンへ向けての重要な練習。この地は宗兄弟をはじめ多くのランナーたちが走り込みをした場所。チームとしても、11年ぶりの海外合宿だった。

日本一の実業団チームの合宿の様子は、現地メディアでも取り上げられた。

自身も選手時代にここで走り込みをおこなった、旭化成陸上部の川嶋伸次コーチはこう話す。

「直線の先が見えないような道があるんですけど、日本では走れないような道路なんで、スタミナ作りができることはよかったですね。当時はそんなに長い距離を走らなかったので、苦しむというより楽しんで長い距離を行くみたいな感じでした。気分的にも海外だし。コースもいろんなコースを作ってもらっていたので、ほんと楽しく(走行)距離が増えたなという印象を持っていますね」

また、西政幸監督もオーストラリア合宿の成果をこう期待する。

「この気候がポイントですね。走る環境がやっぱりいいんですね。あとは長期で来るので、やはり覚悟を決めて、ここに来た以上はしっかりと練習できる、ということですね。
もし練習ができなくてもここにいて、やれることをやる。ここに来た以上は、どういう状態でも最後までここにいるということなので、選手たちも大変かもしれませんけど、私たちも覚悟を持って、選手たちが頑張ってくれることを一緒に見ていきたいと思いますね」

チームの中で、一番MGC出場権の獲得に近い選手・村山謙太。

1か月前のゴールドコーストマラソンで、今シーズンチーム最速の2時間9分50秒の記録を出した。学生時代から箱根のスター選手として活躍し、入社1年目にして10,000mで世界選手権に出場。そのポテンシャルはチーム随一とも言われる逸材だ。

この日、マラソンでは重要な練習、40km走を行っていた。

しかし、30kmで練習をやめた村山。

「頑張ってあともうちょっととはと思いますけど、そこから先が…。今の状態だと、いい形で終われるこれぐらいが一番よかったかなと思います」

村山の状態について、西政幸監督はこう話す。

「よろしくないですね。完走というか、やりきるためのペースにしたからできる、と思ったら本人がやりきれない。非常によろしくないですね。ポテンシャルが凄くあって意外性がたまにあると。練習を彼自身がずっと攻めてやれば、日本で3本〜4本の指に入ってくるようなそういうものを持っています。本来であれば、2時間5分台はいくんじゃないかっていう選手です」

マラソンでどんな選手になりたいか、村山に話を聞いた。

「一番イメージしているのは、やっぱり瀬古さんですかね。最後までいったらしっかり勝ってくる選手なので。過去のレースは動画でしか見ていないんですけど、その見るレースひとつひとつが、最後にしっかりスパートダッシュを走っているので、MGCもそうなんですけど、そのイメージを僕は目標にしてマラソンをやっています」

瀬古利彦は、村山の実力をこう見ている。

「彼は力がありますから。2時間6分切るぐらいの力が充分ありますから。ただそこにやっぱり監督と、これなら(マラソンを)走れるよという練習をしなきゃいけないと思う。目先だけの練習ではマラソンは走れないので、隠れた練習、人が見ていないところでもやる。そういう泥臭いことをやっていないんじゃないかな。見た目だけはやってるけど、隠れて泥臭いことをやってるかって言ったら、まだちょっと足りないんじゃないかなと思います」

村山の目標は「双子の弟と一緒にオリンピックで走りたい」

村山の双子の弟、村山紘太。10000mの日本記録保持者だ。紘太は、マラソンではなく、トラックで東京オリンピックを狙っている。

高校時代はまだ無名だった2人は、別々の大学に進んだが、その後才能が開花した2人は、2015年に共に旭化成陸上部へ。

入社1年目に2人揃って世界陸上代表に選出されるなど、日本長距離界期待の選手に成長してきた。そんな2人の大きな目標とは? 村山謙太はこう話す。

「次のオリンピックでは、ふたりでマラソン代表に選ばれたいというのは弟の紘太と話しているので、その先陣を切っていきたいなと思っています。最終目標は、パリオリンピックで2人で代表に選ばれて走るっていうのが、自分たちの中の最高の状態かなって思います」

オーストラリア合宿での40km走を途中で止めた村山。

コーチ陣は今日の練習の結果如何で、次の海外レースに出場させるかを慎重に見極めていた。

リオオリンピックマラソンの日本代表・佐々木悟の後ろにピタリとつく村山。佐々木もチームメイトである村山の才能を認めているひとり。佐々木はこう話す。

「持っているものはやっぱりものすごく高いと思うので、羨ましいなと思うところがいっぱいあります。走るだけじゃなく、色々トレーニングしますけど、こんなこと簡単にできたりするんだとか、自分の方ができないことが多いので、羨ましいなって正直思います」

次のレースで2時間12分10秒以内で走れば、オリンピック選考レースMGCへの出場が決まる村山。オーストラリアでの走り込みで、ようやく成果を見せ始めた。

「今回合宿に来て、一番いいペースでの40kmですね。2時間17分13秒。いいペースやね。謙太、佐々木さんのおかげだな。ギリギリのところでつながりました。今日できなかったらちょっとね。うーんというのがありますよね」(西政幸監督)

「きつかったですね、今日。残り3kmが特にきつかったです。佐々木さんのおかげでリズムが取れて、前回よりは良かったかなと思います」(村山)

チームとして11年ぶりのオーストラリア合宿でいい兆しを見せた村山。後半では、村山ともう1人の主力選手・大六野の挑戦を追う。

(この記事はテレビ宮崎で2019年5月に放送した番組を再構成した読み物です)

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