アメリカは北朝鮮を軍事攻撃するのか

平成6年(1994年)6月、北朝鮮の金日成主席が、IAEAによる核施設の査察を最終的に拒否した時、ワシントン駐在だった僕は、ノルマンディー上陸50周年行事のため訪欧していたクリントン米大統領に同行してイタリアのローマにいた。
 
東京は「北朝鮮がついに核を持つのか」と大騒ぎで、米政府の反応についてイタリア国営テレビのスタジオを借りて中継リポートをした。イタリア人の仕事は日米に比べややスローで、衛星がつながらずイライラしたが、本番の10秒前に突然つながって何とか中継できた。
 
東京の最大の関心は「米国は北朝鮮を軍事攻撃するのか」であり、それに対する僕の答えは、「軍事作戦の準備はすでにしているが、民主党政権だから実行の可能性は低い」だった。
 
1年前に北がNPT(核不拡散条約)からの脱退を宣言して以来、米朝は核査察をめぐって話し合ったが進展せず、経済制裁はすでに現実味を帯びていた。

しかしワシントンに帰るとそれどころではなかった。
共和党系の人達が口をそろえて北への軍事攻撃を主張し始めたのだ。
あわてた韓国の金泳三大統領がクリントンに直接電話し、膨大な被害が出るから軍事攻撃をやめてくれと直訴したこともあった。
 
ホワイトハウスは北朝鮮に対し議員団の特使を送ろうとしたが、北はこれを拒否、緊張がピークに達した時に、カーター元大統領が平壌を電撃訪問し、なんと金日成に核開発の凍結を約束させてしまった。

ジミー・カーター元大統領
ジミー・カーター元大統領
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共和党系の人達は北朝鮮に融和的な合意を批判したが、僕は正直ホッとした。
と言うのは前年5月に北はノドンミサイルを日本に向け発射。
当時日本のミサイル防衛は整備されておらず、核開発が進めば日本に核ミサイルが飛んでくるのかと思うとゾッとしたのだ。

「危機は去った」と考えた私は甘かった

原爆投下直後の市内の様子
原爆投下直後の市内の様子

長崎生まれの僕は子供の頃、被爆者でケロイドになった顔を隠しながら歩いている女の人を見て、怖くて泣いてしまい、母に叱られたことがある。
原爆の記憶はそれだけだ。
 
母は原爆投下当時、爆心地の近くに住んでいたが、稲佐山という小さな山が影になって被爆せずにすんだ。
だから原爆の恐ろしさは他人事だったのだがこの時、初めて恐怖を感じた。
このままでは再び核兵器が日本に来るかもしれないのだ。
 
だからカーター訪朝の後に米朝協議が再開され、査察受け入れや軽水炉支援などで合意した時には無邪気に「危機は去った」と思ったものだ。
後に自分がいかに甘ちゃんだったか思い知らされるのだが。
 
このカーター訪朝の1年後、金日成は死に、息子の金正日が後を継ぐ。
 
平成10年(1998年)8月、北はテポドンミサイルを発射し、日本上空を飛び越えて三陸沖に着弾した。
この時にはオルブライト国務長官が2年後に訪朝し、金正日総書記はミサイル実験の停止を示唆した。
 
しかし平成13年、米国ではブッシュ共和党政権が発足。
大統領は北朝鮮を「悪の枢軸」と非難し、これに応えるように金正日は核開発の再開を宣言し、NPTから再び脱退した。

「テロ支援指定国家を解除」はアホ!

北朝鮮の核施設
北朝鮮の核施設

危機は再びやって来た。そもそも去ってなかった。
北朝鮮は核開発をやめてなかったのだ。
平成18年7月に北朝鮮は再びテポドンを発射し、10月には初の核実験を実施した。
彼らが核を持つ日が近づいていた。
 
僕はこの時、政治部のデスクだったが、ワシントンの記者に聞くと、米国は再び北への軍事攻撃の検討を始めたということだった。
特にネオコンのチェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官が、軍事攻撃の急先鋒であった。
 
ブッシュ自身もウッドワード著「ブッシュの戦争」の中で、「金正日が嫌いだ。腹の底から嫌悪感がこみ上げる」と述べた上で、
軍事攻撃の可能性を示唆している。
 
チェイニーはマカオの銀行バンコ・デルタ・アジアの北朝鮮口座を凍結するなど、北朝鮮への制裁も強めた。
 
しかしブッシュ政権内のネオコンは、イラク戦争で大量破壊兵器を見つけられなかったため、政権内での力を急速に失い、国家安全保障担当補佐官から昇格したライス国務長官ら穏健派に、主導権を奪われてしまう。
 
平成18年2月に6か国協議で、北が寧辺の核施設を無力化する見返りに、重油100万トンの支援を行うことで合意。
さらに20年6月、米国は北朝鮮のテロ支援国家指定を解除してしまった。
カーター訪朝から15年たってもう無邪気ではなくなっていた僕は、このニュースを聞いて思わず「アホか」と叫んだ。
 
この15年で日本は米国の協力を得てミサイル防衛体制をかなり強化していた。
また、12年の小泉訪朝では、北朝鮮が拉致被害者の情報について、ウソを重ねるのを目の当たりにした。
北に対しては融和的な態度を取らず、強い姿勢で臨まなければ成果は得られないのだ、ということがわかってきたのだ。
 
だから米国が、しかも共和党政権が、15年前と同じように北朝鮮にだまされるのを見て、「アホか」としか言えなかったのだ。

オバマ政権の「戦略的忍耐」は意味不明

バラク・オバマ前大統領
バラク・オバマ前大統領

平成23年、金正日が死に、3代目の金正恩が後を継いだ。
その後の北朝鮮の核とミサイルの開発は露骨だった。
これに対し米国オバマ政権は「戦略的忍耐」というわけのわからない政策を取った。
米国本土に届くミサイル開発には時間がかかるから、とりあえず何もせずにほおっておきましょうということだ。
 
ひどい大統領だと思った。
僕はブッシュ父、クリントンをワシントンで取材し、その後、ブッシュ息子、オバマ、トランプを東京からウオッチしているが、
外交ではこのオバマが一番ひどかったと思う。

トランプ大統領の真剣勝負

そして平成30年6月、初の米朝首脳会談がシンガポールで開かれた。
 
北朝鮮は米本土に届くICBMをほぼ完成させ、核搭載も時間の問題だ。
一方で米国による軍事攻撃はできないと高をくくっていたが、トランプの登場で、こいつだったらやるかも、と心配になっている。
日米を中心にした制裁は効果を上げているが、それでも中露、それにおそらく韓国の「制裁破り」は続いている。
こういう情勢だった。
 
米朝首脳会談の当日、トランプがどんな「顔つき」で臨むのかに関心があった。

僕は16年前の日朝首脳会談を思い出していた。
あの時小泉首相は厳しい表情で、握手はしたものの、金正日をにらみつけていた。
子どもを誘拐された父親が犯人に「子どもを返せ」と迫る顔だった。
ディールができていると思っていた金正日は困惑しているように見えた。

2002年9月 日朝首脳会談
2002年9月 日朝首脳会談

一方今回の米朝に先立って行われた南北会談で、韓国の文在寅大統領は満面の笑みを浮かべて北朝鮮の金正恩委員長をハグし、
金正恩もリラックスしているように見えた。
 
トランプは小泉スタイルでなく文在寅スタイルで行くのではないかと思っていた。
 
しかし中継の映像を見るとトランプは緊張しているのか笑顔がこわばっていた。
金正恩はトランプ以上に緊張しているようだった。
これは真剣勝負だ。
会談前にトランプが外交成果欲しさに、妥協をするのではないかという見方があったが、そうはならないのではないか、と思った。

2018年6月 シンガポールで初の米朝首脳会談開催
2018年6月 シンガポールで初の米朝首脳会談開催

結局トランプはこのシンガポールと、2回目のハノイでの会談でも、核廃棄に先行する形での制裁解除には応じなかった。
軍事演習の中止などいくつかの妥協はしているが、話し合いが継続中である以上、銃をおろすのは当然かもしれない。
 
むしろトランプが思ったよりしっかりしていることに驚いた。
そしてもう1年近く、北朝鮮はミサイル発射も核実験も行っていないのだ。

「令和」に持ち越された北の核開発危機

平成の初めに表面化した北朝鮮の核開発危機は四半世紀が過ぎても続き、平成のうちにはケリはつかず、次の時代「令和」に持ち越された。
北朝鮮は持っている核をゼロにすることはおそらくないだろう。
ただ国際社会に参加する意志は強いように見える。合意点を探すことはできるはずだ。
 
これから核ミサイルだけでなく、拉致、制裁、支援など様々な問題が協議されるが、我々がこの30年間に学んだことは、なんなのだろう。
北朝鮮は信用できない国家なのか?
融和せず強硬姿勢で臨むべきなのか。
しかし交渉というものは信頼や妥協がないとできない。
 
核ミサイルについては米朝、または6か国協議の場で話し合うことになるが、安倍首相はトランプや習近平、プーチンが金正恩と変なディールをしないよう、きっちり日本の意見を言うべきだ。彼らは安倍さんの意見には耳を傾けるからだ。
そして拉致については安倍首相が金正恩と直接話す。
そしてこの異常な関係に終止符を打つ。それしかない。

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】
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平井文夫
平井文夫

言わねばならぬことを言う。神は細部に宿る。
フジテレビ報道局上席解説委員。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。