日本のゴルフ界の一時代を築いたレジェンド、尾崎将司さんが大腸がんで逝去。
故郷・徳島県からも尾崎さんを偲ぶ声が届いた。
■国内ツアー歴代最多優勝 「世界ゴルフ殿堂入り」果たす
尾崎さんは恵まれた体格から繰り出す飛距離を武器に、デビューと同じ年に誕生したジャンボジェット機になぞらえ、“ジャンボ尾崎”の愛称で親しまれた。
歴代最多となる国内ツアー94勝を含む113のタイトルを獲得。
2010年には、世界ゴルフ殿堂入りも果たした。
尾崎将司さん:『これは自分の天職だ』ということを感じたときに、別に先がどうであるとか考えたことはない。毎日、毎日、ゴルフするのが好き。

■元野球少年、甲子園の優勝投手だった!
尾崎さんはおよそ1年前にがんと診断を受け、自宅での療養を続けていたが、23日午後、S状結腸がんで亡くなった。
78歳だった。
ゴルフ界のレジェンドは、もともと野球選手。
記者リポート:尾崎さんの地元の徳島の高校には、尾崎さんが甲子園で優勝したときの優勝旗やメダル、トロフィーが残っています。
61年前、徳島県の海南高校で春のセンバツ高校野球に出場。
エースとして活躍し、優勝投手になった。

■プロ野球選手になるも挫折、経験いかしゴルフ人生が花開く
翌年、プロ野球の西鉄ライオンズに入団するも、周囲との力の差に挫折。
この経験がその後のゴルフ人生に大きく活きたと生前、話していた。
尾崎将司さん:(同期入団の)池永正明のすごさを目の当たりにした。今まで世の中いろんな人に出会ったけど、池永に出会った時の、そして自分と比較した時のこの衝撃的なものは、やっぱり自分を大きくしてくれた。

■地元・徳島を愛し子供たちを愛した尾崎さん…
尾崎さんの愛した地元・徳島県の中華料理店でも偲ぶ声が。
中華料理店「豚皇那佐」元店主・戎谷誠文さん:なんとも言えん気持ちになりましたね。
(Q寂しい?)
もちろん。そりゃ寂しい。なんでって思いました。
この店に尾崎さんは帰省すると必ず立ち寄っていたということで、特別メニューのネギ味噌ラーメンが大好物だった。
中華料理店「豚皇那佐」元店主・戎谷誠文さん:こんな田舎の食べ物屋やけど、ホンマに気さくにうまいうまい食べてくれるのは、やっぱり懐かしさがあったのかなって。
尾崎さんの小中学校時代の後輩・山田忠さん:子どもたちが特に好きなんよ。ジャンボさんは出来ることはないかということで色々尽力してもらって。

■「ずーっとゴルフして青春していきたい!」最期まで引退を表明せず
プロゴルファーとして後進の育成にも力を注ぎながら、自らは、最後まで引退を表明しなかった。
尾崎将司さん:『自分の青春はゴルフ』であるからゴルフでずっと青春していきたいってのが一番好きな言葉であるし、俺にピッタリかなって。
葬儀は近親者のみの家族葬として執り行い、後日お別れの会を予定している。
(関西テレビ「newsランナー」2025年12月24日放送)

