プロゴルフの国内ツアーで最多の94勝を挙げたジャンボ尾崎こと尾崎将司さんが、S字結腸がんで23日に亡くなった事がわかった。78歳だった。

尾崎さんは日本ゴルフツアー機構(JGTO)のツアーメンバーで、特別顧問も務めていて、JGTOの諸星裕会長とジャパンゴルフツアー選手会の谷原秀人会長が追悼のコメントを出した。

日本ゴルフツアー機構・諸星裕会長コメント

突然すぎる訃報に接し、絶句しました。

ゴルフ界は、あまりにも偉大過ぎる方を失ってしまいました。

プロ野球選手からプロゴルファーに転身して間もなくした1970年代前半から頭角を現し、その活躍は2000年を超えてもなお、続きました。

常に第一線での活躍で男子プロゴルフ界を長きにわたって牽引し、他を寄せ付けない圧倒的な強さで、これほど力の衰えを知らないプロゴルファーを、私は見たことはありません。

1973年のツアー制施行後に積み重ねた勝利数は、94。

あまりにも圧倒的な強さでした。

男子プロゴルフのトーナメント記録には、『尾崎将司』の名が“これでもか”というくらい多く出てきます。

賞金王に12回もなっていたり、そのうち5回は連続して賞金王になっていたり、15年連続で優勝していたり、55歳241日にして優勝していたり、32年続けて賞金シード資格を獲得し続けていたり、66歳にして62ストロークという驚異的なスコアを出してエージシュートを達成していたり…。

そんな記録はここには書ききることができないほどです。

記録とともに、強烈に記憶にも残るキャラクターの持ち主でもありました。

第一線を退いて以降は、後身の育成に力を入れられ、近年ではその力が大きく開花しています。

実は、ジャンボさんと私は同級生です。

あまりにも早すぎます。

でも、そんなジャンボさんの遺志は、間違いなく引き継がれていきます。

安らかにお休みください。

ジャパンゴルフツアー選手会・谷原秀人会長コメント

訃報に接し、ただただショックを受けています。最大限の敬意と感謝をこめて、ジャンボさん、と呼ばせていただきます。ジャンボさんには僕がプロ転向してすぐの頃から、とてもかわいがっていただきました。

2003年の「マンダムルシードよみうりオープン」で、ジャンボさんを逆転して初優勝できたときにはなんだか急に一人前になれた気がして、胸が震えるほど嬉しかったことを、今でも覚えています。

ファンのみなさんには豪快で、憎らしいほど強いイメージしかないかもしれませんが、ジャンボさんほど繊細で、シャイで、優しくて、面倒見のよい人はいません。僕もよく練習を見ていただきました。30歳のころからジャンボさんのご自宅にもお邪魔させていただけるようになりましたが、そのたびにすさまじい練習量とゴルフ愛にも圧倒されるばかりでした。

肋骨が折れている、とわかっても「ヒデ、大丈夫だ。原因が分かったからいいんだ」と笑って、痛いのに練習をやめようとしない。ジャンボさんのライバルの青木さんもそうですが、このお2人のゴルフ熱に勝てる人間は、この世界に誰もいない、と僕は思っています。

今年になってかなり体調が悪いと聞いていましたが、病名や症状は誰にも明かさなかった。たぶん、そういう姿を誰にも見せたくないし、知られたくなかったからではないか。最後の最後まで、そういう美学を貫く姿にも、真のプロゴルファー像を見せていただいた思いです。

長嶋茂雄さんを崇敬されていた。まさか、同じ年にジャンボさんまで失ってしまうとは。

もっともっとお話がしたかった。もっともっと、教えていただきたいこともたくさんありました。今はただ哀しくて、寂しくて、無念の思いで一杯です。

ジャンボさんと過ごした時間と思い出は、一生忘れません。これからも、僕らのことを見守っていてください。よろしくお願いします。

(FNNプライムオンライン編集部)

プライムオンライン編集部
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