「自宅で最期を迎えたい」という患者と家族を支えるため、コロナ禍に訪問診療専門のクリニックを長野県松本市に開業した瀬角英樹医師。精力的に訪問診療を続け、3年余り経った2024年8月、自身の「すい臓がん」が判明しました。診療を続けながら、抗がん剤治療と手術を乗り越えてきましたが、闘病から半年、転移の可能性があることが分かります。瀬角医師が見つめる「死」、そして「生きる」とは。

■リンパ節への転移を再発の可能性

松本市の「訪問診療クリニック樹」の瀬角英樹医師、64歳。

「すい臓がん」発覚から半年たった2025年3月、クリニックを訪ねると、こう打ち明けました。

訪問診療クリニック樹・瀬角英樹医師(2025年3月):
「『ちょっと良くないですよ』とか言われて、30秒間落ち込みましたね、30秒間…再発・転移の可能性を否定できない、っていうんですよね」

がんを摘出する手術から3カ月。リンパ節への転移と再発の可能性があると診断されました。医師として専門としてきた分野で、検査結果も、置かれた状況もよく理解しています。

瀬角医師:
「5年生きて、10年生きて…っていうことを目指せるんじゃないかという気持ちがあった。でも、その話を(3月)3日にされたことで、そんなこと言ってないで、自分が死んでいく過程というのをちゃんと考えようと」


■「がん」発覚後も訪問診療を継続

2021年、松本市に訪問診療専門のクリニックを開業した瀬角医師。住み慣れた家で「最期まで自分らしく過ごしたい」という患者と家族を支えてきました。

しかし、2024年8月、「すい臓がん」のステージ2と判明。その後も抗がん剤治療を受けながら、訪問診療を続けてきました。

2024年12月には一時、診療を休止し、がんを切除する手術を受け、年明けに復帰。再び、患者と家族のもとを訪問しました。

患者の妻(70代):
「先生の顔を見せていただいて、本当にもう、それが何よりの元気が出ることです。私たちにとっては」

瀬角医師:
「(戻れて)あぁ、よかったなって。今後も頑張っていく勇気と力をもらっている日々です」


■「どう、死に向かっていくのか」

しかし、3月「再発・転移の可能性がある」と診断されたことで、治療の負担は一段と大きいものになりました。

瀬角医師(2025年3月24日):
「きょうの朝、シャワー浴びて髪の毛拭いてたら、タオルにそれなりについて、きたぜー、みたいな感じ」

脱毛や倦怠感など、より強い副作用のある抗がん剤治療に移行しました。

看護師:
「大丈夫ですか?痛みありますか?」


この頃から深く考えるようになったのが「どう生きるか」。抗がん剤の点滴を受けながら、こうつぶやきました。

瀬角医師:
「どういうふうに死に向かっていくのか。やっぱり想像できちゃいながらも想像したくないし。壊れていく自分が、どういうふうになっちゃって、最後には自分で鎮静剤とか打ちながら暮らすのかな…。でも、それはその時だねって。今は治療頑張って、仕事頑張って、やれることをやって、伝えたいことを伝えて」

■地域の在宅医療をより良くしたい

4月のある日。クリニックはいつもと違う雰囲気です。

瀬角医師が手にしていたのは、アコースティックギター。「インテリアの1つ」といいますが―

瀬角医師:
「どうしてもって言われたら、『いや仕方ないかな~』って、演奏しようかと」

しばらくすると―。

参加者:
「完全復活、おめでとうございます」
「先生、しばらく~」

この日は、瀬角医師が計画してきた「いのちカフェ」の日。訪問診療で連携する看護師や薬剤師などの仲間に声を掛けていました。

クリニックを「カフェ風」にして菓子やフルーツを用意。オーダーを受けた瀬角医師が豆を挽き、サイフォン式でコーヒーを淹れます。

訪問看護師:
「おいしいです」

リラックスした雰囲気で参加者同士の話がはずみます。

「訪問診療」では異なる事業所やスタッフ同士が交流する機会はほとんどありません。初対面や顔見知り程度だったスタッフ同士の会話は、仕事の悩みや愚痴、課題の共有などで深まります。

訪問看護師:
「(採用で)どれだけ教育体制が整えられるか課題で、なかなか進まなくて」
「私たち単独で、結構孤独ですよね。これでいいのかな?というのも相談しながらやりたい」

瀬角医師:
「皆さんと付き合っていると、孤独なんだろうなとか、いろんな思いを抱えて苦しそうだなって感じるわけですよ」

地域の在宅医療をより良くしたい―。

「いのちカフェ」は、連携を深めるため以前から構想していたものでした。

訪問看護師:
「苦しみやら、生きがいやら、感動やら、抱えている人たちがいっぱいお話しできましたので、とってもいい時間を先生がつくってくれましたね」
「なんでも話せる、泣いたり、笑ったりできる場所で気にかけてくださっているから、ありがたい」

最後は瀬角医師が中島みゆきの「誕生」をギターの弾き語り。副作用で手足のしびれが出始めていて、いつまで弾けるか分からないと、本当は演奏の機会をうかがっていました。

「いのちカフェ」はこの後も毎月、続けています。


■「最期まで自分らしく」諦めないで

7月、松本市・城北公民館―。

瀬角医師:
「全身倦怠感とか強く出ているので、ちょっとつらいんですけどね」

それでも、開業以来、交流のある公民館の声がけで講演を行いました。

在宅医療は地域の看護や介護、さまざまな事業所の連携で支えられていると説明。そして、「最期まで自分らしく生きることを諦めないでほしい」と伝えました。

瀬角医師:
「そういう方たちの力を全部合わせて、最後に顔を出すのが訪問診療医。ぼくらは緩和ケアを施しているわけじゃなくて、おうちで生きていくのを支えているだけなんです」


■2人の娘と親子で訪問診療

8月12日―。

「すい臓がん」発覚から1年。クリニックには夏休みで帰省中の瀬角医師の長女(38)がいました。長女は、県外の病院で働く産婦人科医です。

瀬角医師:
「自分がやってること、ちょっとでも知っててほしいなって」

クリニックの薬剤師である次女と、親子3人で訪問診療です。

孫たち:
「行ってらっしゃ~い。がんばってー!」

瀬角医師の長女:
「はーい、がんばるよ~」

訪問したのは、脳の悪性腫瘍を患う女性。病院での治療を尽くし、2年前から本人の希望で自宅へ。望んでいた家族との生活で、食欲もリハビリへの意欲も湧きました。

瀬角医師:
「ごはんは、どうですか?」

患者:
「ごはんは、おいしいです」

瀬角医師:
「夏バテしてないかな?」

患者:
「大丈夫です」

瀬角医師:
「おお、すばらしい」

瀬角医師は父として、同じ医師として、長女に在宅医療の力を感じてほしいと考えていました。

瀬角医師の長女:
「どういう姿勢で接してお話を聞いて関わっていくかは、父から学ばせてもらっている」

患者:
「うちにいられることは助かりますよね」

患者の夫:
「先生がうちに来てくれて、病院で何かやってくれるっていう形では、こういう回復はなかったんじゃないかな。寝たきりだったからね」

患者:
「(リハビリも頑張っている?)ええ、なにくそー!と思って。先生も頑張ってるもん、ねえ」

瀬角医師:
「頑張りまーす、これから」

瀬角医師も患者の頑張りに励まされています。


■「自分の想いを最期までやりきる」

「最期まで自分らしく生きる」。そんな患者と家族を支えたいと、訪問診療を始めた瀬角医師。今、この言葉を自分自身に言い聞かせながら、一日一日、「命」と向き合っています。

訪問診療クリニック樹・瀬角英樹医師:
「本当にショックもあったし、悲嘆に暮れた時期もあったし、でも一喜一憂しないで、どこにがんが潜んでいたって、おれは生きてるぜって。自分の想いを最期の最期までやりきる。生ききる、ってことを大切にしたい」

最期までやりきるという瀬角医師、一時休止していた新規患者の受付も今は再開し、診療を続けています。

また、これまでに築いた地域の在宅医療の力を将来につなげたいとクリニックの事業継承にも取り組んでいるということです。

長野放送
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