自らも被爆しながら負傷者の治療にあたった医師・秋月辰一郎さんが亡くなって20日で20年となるのに合わせ、長崎市で「つどい」が開かれました。

19日、長崎市の原爆資料館で開かれたつどいには、被爆者や高校生など約100人が参加しました。

秋月辰一郎さんは29歳のときに爆心地から1.4km離れた浦上第一病院=現在の聖フランシスコ病院で被爆しましたが、医師として献身的に負傷者の救護にあたりました。

1989年には核兵器廃絶への思いなどを若い世代に継承しようと「ながさき平和大集会」を立ち上げるなど、45年以上にわたり平和運動の先頭に立ち続け、2005年に89歳で亡くなりました。

19日は秋月さんの生涯を描いたアニメーション映画が上映され、有原誠治監督が原爆で傷ついた人々を描く苦労などを語りました。

有原 誠治 監督
「(映画は)つらいシーンの連続」
「しかし秋月先生が体験されたことは、こんなもんじゃない。もっとすさまじいことだっただろうなと」

第28代高校生平和大使 イェ・ソジさん
「秋月先生のように平和について考えるときに、自分がアクションを起こしていくことがとても大切だと思う」

集まった人たちは、秋月さんの核兵器廃絶に対する願いを引き継いでいこうと思いを新たにしていました。

テレビ長崎
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