戦争で使われた戦車や軍用車を負の遺産としてではなく、日本の高い技術力の象徴として次世代につなごうと進められている防衛技術博物館構想。その現在地とは?
戦車を改造したブルドーザーが復活
戦中から戦後にかけて姿を変えつつも、日本のために走り続けた1台の車両。
”復活”の様子を一目見ようと全国各地から大勢のファンが集まった。

その視線の先にあるのが九五式軽戦車改造ブルドーザー、通称“ハ号ブル”だ。
元々は旧日本軍が1935年に採用した小型戦車で、戦後に改造が施され材木の運び出しや造成工事の現場で活躍したことから、付いた呼び名は“更生戦車”。
北海道の所有者から譲り受け、2023年に静岡県御殿場市へとやって来た。

防衛技術博物館を創る会の小林雅彦 代表理事は、当時の状態について「なんとか“ヨタヨタ”だが走り、自走してトラックに乗ることができるレベルだった。大事に乗られていたので生きているという感じだったが、もうボロボロ」と振り返る。
その後、小林代表理事は専門業者の力も借りながらレストア。
群青色の塗装はブルドーザーとして活躍していた当時の色合いを再現している。
小林代表理事がこうした活動をしているのは、モノづくり大国・ニッポンの技術力の高さを後世に伝えるために、当時の最先端技術の結晶ともいえる戦車や軍用車などを展示する国内初の博物館建設を目指しているからだ。
その名も防衛技術博物館。
自衛隊の街に”防衛技術博物館”を
御殿場市に広がる東京ドーム約1.2個分の敷地。

小林代表理事はこの地に展示棟のほか整備工場、さらには操縦体験できるコースを兼ね備えた防衛技術博物館の開館を夢見ていて、「本州で一番大きな東富士演習場があり、自衛隊の駐屯地が3つもある自治体はなかなかない。地元の人も理解しているというか気にしていない。生活とともに演習場・自衛隊があるのでこういう場所でしか逆に防衛技術博物館はできない」と力説する。
また、御殿場市出身の小林代表理事にとって自衛隊は幼い頃から身近な存在であり、それだけに戦車や軍用車の歴史を伝える施設が日本にないことにずっと疑問を感じていて、「外国の人たちにも話を聞くと、(海外では)1970年代~1980年代くらいに古い車両が散逸していくことを防ぐため、個人や軍の担当者の頑張りで博物館がスタートしている。国がバックアップをして、最初は小さな博物館だったものが世界で名だたる大きな博物館になっている」と話す。

2016年に日本が世界で初めて開発した小型四輪駆動車、通称・くろがね四起 前期型を復元させると、その後、イギリスで保管されていた九五式軽戦車やアメリカの博物館で展示されていた九七式中戦車改の“帰国”も実現させた。
これまでに集めた車両は全部で10両に上る。

現在は九七式中戦車改のレストアに向けた検討を進めており、小林代表理事によれば「収蔵品の修復や里帰りは計画よりもかなり順調」という。
愛好家らのサポートが支える活動
とはいえ、多額の費用を要する戦車や軍用車の運搬や修理。
こうした小林代表理事の活動を支えているのが愛好家の存在で、「初めてくろがね四起でクラウドファンディングをしてからずっと支援してくれる人が100人くらいいて、段々と増えてきている。今回ハ号ブルドーザーに関しては、戦後復興で日本のために頑張ったから『また応援するよ』と戻ってくる人もいる。人それぞれいろいろな価値観がある中で、思いは同じなんだろうというのはすごく感じている」と感謝の思いを口にする。

今回の九五式軽戦車改造ブルドーザーのレストアにあたっても約1500万円かかったが、クラウドファンディングには783人が賛同し、目標金額を超える1833万円が集まった。
東京から来た愛好家が「技術を継承するということと、そこに携わっていた人たちや歴史も含めて我々が知らなかったことを知らしめてもらうような展示物・博物館というものは必要なのでは」と語れば、別の愛好家も「日本軍の物はとにかく日本に残っていない。こうして残そうという運動には賛同する」と期待を込める。
国の支援獲得へ後押しも
ただ、博物館構想を実現させるためにはやはり国の協力も不可欠だ。

防衛技術博物館の設置を実現する議員連盟の細野豪志 衆議院議員は「まず防衛補助で財政的に協力する。現役の装備をこれから展示していくことが必要になるので、安全にきちんと継承していくということもあり、しっかり国としてバックアップできるように私も後押しをしていきたい」と協力を約束。

同じく防衛技術博物館の設置を実現する議員連盟で前御殿場市長の若林洋平 参議院議員も「国の宝物というか国の遺産になっているものに対して、御殿場市だけでは難しいなどいろいろな課題がある中で、本当に実現できるのかというのが最初の思いだったが、とにかく熱意(がすごく)、私自身も技術遺産として残していかなければいけないと思う」と述べた。
小林さんは年内にも防衛省や御殿場市など関係する機関と展示内容などについて協議を進める予定で、2033年の開館に向けて「防衛技術博物館、有り体に言うと戦車博物館は日本にないわけで、これを我々の手で作るチャンスが目の前に来ていて手の届くところまで来た。ここで諦めてしまうとまたゼロから誰かがやらなければならない。ここまで来たらみんなでつかみ取りたいので、頑張りたいし、応援してもらいたい」と意気込んでいる。
(テレビ静岡)