天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは9月6日、防災に関する大会に出席するため新潟県を訪問された。3日間の日程で、防災推進国体に出席されたほか、中越地震の被災地などを訪問された。愛子さまが訪ねた3日間を振り返る。
“爽やかなブルー”の装いでご来県
6日夕方、皇居を出発した愛子さまは6日午後7時ごろ、新幹線で新潟駅に到着された。

秋篠宮家の長男・悠仁さまの「加冠の儀」など成年式に出席後、新潟入りした愛子さまは、出迎えた花角知事などと挨拶を交わしたあと、駅前に集まった多くの人たちからの「愛子さま~」との声に笑顔で手を振られた。
福祉関係者を労うお言葉も
7日午前、防災推進国民大会『ぼうさいこくたい』の会場となっている新潟市中央区の朱鷺メッセに到着した愛子さまは、出迎えた主催者に「よろしくお願いします」などと挨拶された。

ぼうさいこくたいは災害による経験や知恵を共有し、若い世代に伝えていくため、毎年開催されている。
会場では、能登半島地震の被災地・石川県珠洲市に派遣されたDーWAT(災害派遣福祉チーム)が当時の活動や課題について振り返ったほか、今後のあり方を考えるセッションも行われ、愛子さまはメモをとりながら熱心に耳を傾けられた。
内閣大臣官房審議官の小谷敦さんは「福祉に携わる皆さんの日頃の仕事ぶりに対し、ねぎらいの言葉というか『皆さん大変な中、災害のときには応援にも行っていただいてありがとうございます』そういうようなお話があった」と話した。
「わたしも被ってみたい」
7日午後、愛子さまは日本海と信濃川に面した新潟市歴史博物館・みなとぴあに到着。

愛子さまは大雨のたびに洪水被害に見舞われたこの地域の歴史について説明を受け、「新潟では『水の恵み』という歴史と『水に挑んで戦う』という2つの歴史があったんですね」などと述べられた。
この後、ボランティアのガイドたちと懇談された愛子さまは、来場者が着用体験できる紙製のかぶとに“愛”の文字があしらわれていると知り、「私もかぶってみたいです」と話されていたという。
“白い装い”でニシキゴイにエサを与えられる場面も
8日昼前、愛子さまは新潟県小千谷市にある『錦鯉の里』に到着し、市長などの出迎えを受けられた。
小千谷市はニシキゴイ発祥の地で、最大震度7を記録した2004年の中越地震でニシキゴイの養殖も壊滅的な被害を受け、その後、復興を果たしている。
愛子さまは鑑賞用の池で“泳ぐ宝石”と言われるニシキゴイに餌を与えられた。
また、訪問を記念し、“丹頂紅白”という品種のニシキゴイを池の中に放ち、泳ぐ様子を笑顔で見守られた。
中越地震の被災地を訪問 当時は上皇ご夫妻もお見舞いに
8日昼過ぎ、愛子さまは長岡市の山古志支所を訪れ、集まった人たちに笑顔で手を振られた。

旧山古志村(現長岡市)は最大震度7を記録した2004年の中越地震で壊滅的な被害を受けて孤立し、3年にわたる全村避難を余儀なくされた。
上皇ご夫妻は当時、中越地震の避難所で村民をお見舞い、4年後、住民が戻った村を訪れ、村伝統の闘牛やニシキゴイなどの復興状況を見届けられた。
愛子さまは、地震発生直後の状況やニシキゴイも救出したこと、住民が村に帰るまでの写真をじっと見つめ、救助用の「ヘリには何人乗れますか」「避難所の環境は?」などと質問を重ねられた。

続いて、被災経験を語り継ぐ人たちと懇談し、郷土料理を提供する食堂を立ち上げ、愛子さまの昼食を作った女性に「山菜も天ぷらも大変おいしくて。味付けもおいしくて」とお礼を伝えられた。
また、愛子さまは、「被災されたときは大変でしたか?」「やりがいを感じたり、印象に残っていることは?」などと尋ねられた。
愛子さまの初めてご来県に、沿道で見守った人は「とても笑顔がきれいで、元気になった」「すごく丁寧に手を振られていて丁寧な人柄が伝わってきた」「とてもかわいかった。移動されるときに見たので一瞬だったが、貴重な経験をさせていただいた」「すごくうれしかった。すごく優しい感じの笑顔でいいなと思った」などと笑顔で話していた。
愛子さまの新潟訪問は、県民の心に深く残ったようだ。