戦時中、アメリカ軍の魚雷攻撃を受けて沈没した学童疎開船「対馬丸」の犠牲者が流れ着いた、鹿児島県の奄美大島の宇検村の海岸を沖縄の小中学生らが訪れ、戦争の悲惨さや平和の尊さを学びました。
1944年8月22日、沖縄から長崎に向かう途中、アメリカ軍の魚雷攻撃を受けて沈没し、1500人近くが犠牲となった学童疎開船「対馬丸」。
こうした対馬丸の歴史を学び継承していこうと、沖縄県は2018年から沖縄の小中学生を対象に「対馬丸平和学習交流事業」を行っています。
この日は研修の一環で、多くの犠牲者の遺体が流れ着いたという宇検村を訪問。
地元の小中学生らとともに慰霊碑が建てられている船越海岸でフィールドワークを行いました。
沖縄からの参加者
「喉はカラカラに渇き、昼は太陽で焼けるように暑く、夜は震えるほど寒かったそうです。もし自分が波に囲まれたら、きっと恐怖で頭が真っ白になっていたと思う」
沖縄からの参加者
「絶対に忘れてはいけないことだから、語り継いでいくということをしていきたい」