大規模な山林火災から半年、68の住宅が被災した岩手県大船渡市綾里地区で、地元の若者たちの熱意により6年ぶりに夏祭りが復活した。自宅全焼の被災者である東川今(なお)さん(27)を中心に実行委員が奮闘し、約2000人が集まった祭りは「復興への第一歩」として地域に希望と活気をもたらした。
若者がつなぐふるさとの絆と希望
8月14日に大船渡市三陸町綾里で開かれた夏祭り。実行委員が手作りしたやぐらを囲み、多くの住民が年に一度の祭りを楽しんでいた。
綾里夏祭りは、伝統的に25歳を迎える地元出身の若者が実行委員を務める行事だ。

実行委員経験者(70)は「同級生が(綾里から)離れていたのが、その年には帰ってきてみんなでやる。伝統ですね」と語る。

実行委員の木下拓会長(29)も「来れば楽しめる場所、毎年来ていた。25歳になったら(自分も)やるんだろうなと思っていた」と祭りへの思いを明かした。
山林火災から立ち上がる若者の力
大正時代に始まったとされる綾里夏祭り。前回開かれたのは100回目となった2019年だったが、その翌年から新型コロナウイルスにより中止が続いていた。
2024年の秋ごろ、本来2020年以降に実行委員を務めるはずだった世代が声を上げ、夏祭りを復活させようと動き出した。

しかし2025年2月、綾里地区は山林火災で甚大な被害を受ける。全壊41棟を含む68の住宅が被害に遭い、多くの住民が避難を余儀なくされた。

実行委員の一人、東川今さん(27)も被災者だった。
「私自身も自宅が被災してしまって落ち込んでいたが、その次に綾里の地域をどう盛り上げていけば良いかと思った時に、夏祭りが思い浮かんだ」と話す。

市内の飲食店で働いていた東川さん、家族5人で暮らしていた自宅は全焼した。
現在は更地となった自宅跡で「このへんが玄関ですね。こっちが茶の間になっていて…」と説明する東川さんの表情には寂しさが滲む。

「思い出の品だったり写真とか卒業アルバムとか、色々自分の部屋にもしまい込んでいたので、どうにか持ち出せたら良かった」と振り返る。
復興への思いを祭りに込めて
現在は仮設住宅で暮らす東川さんだが、不安が尽きない日々のなかでも夏祭りへの思いは途切れなかった。
「こういうことがあったからこそ、みんなが楽しめる場所を提供したり、私自身も楽しみながらできる場所作りを今回目指してきたのでそれに向けて頑張ってきた」と話す東川さん。

火災の直後、地区では祭りの開催に反対の声もあったものの、「綾里に元気を取り戻したい」という東川さんら若者の思いに理解が広がり、最終的には実施が決定した。

実行委員のメンバーは3月から週に2回、地区の公民館に集まり、当日の役割分担を決めたり会場の飾りや看板を作ったりと準備を重ねてきた。
祭りが取り戻した町の笑顔
祭り当日、夕方に差し掛かると集まる人の数が徐々に増えていった。
やぐらの上に組まれたステージでは地元の子どもたちがダンスパフォーマンスを披露。綾里の伝統芸能である剣舞も会場を盛り上げた。

ボールすくいや輪投げ、かき氷などを楽しめる縁日コーナーも子どもたちに大人気だった。
わたあめコーナーで対応する東川さんも終始笑顔だった。
この日、会場にはお盆で里帰りした人を含め約2000人が集結。仮設住宅で暮らす人たちも訪れていた。

自宅が被災した泉惠さんは「綾里という町の元気、パワーを改めて感じることができた。私たちの気持ちも明るく前向きになることができるので、復興へのさらなる第一歩としてすごく喜ばしいこと」と話した。
若者たちが確信した復興への道
日が暮れてくると、祭りはいよいよクライマックス。「盆踊り」の時間帯には、参加者は思い思いの踊りを楽しんでいた。

実行委員の古川翔太さん(29)は、「私も自分の会社が被災している中での活動ではあったが、東川さんの力強い『私一人でもやります』というセリフにみんな引っ張られて、最高の祭りにしようと準備を重ねて、きょうを迎えることができた。綾里も少しは元気になったと思う」と語った。

実行委員の中心となった東川さんも、山林火災以前の笑顔を取り戻していた。
東川今さん:
本当にやって良かった。私一人だけでは成し遂げられなかったことなので、この先一生忘れられない記憶。人と人とのつながりがあってここまで成長できたと思うので、これを糧にしつつ自宅も再建できたら。

復興への道のりはまだ始まったばかりだが、この日取り戻した熱気が再生への糧になることを若者たちは確信していた。
(岩手めんこいテレビ)