旧役場庁舎解体から1年半…震災伝承の取り組み見えず

東日本大震災から9年半、復興が進んできた岩手県大槌町。その中心部に緑一色の空き地が広がっている。旧役場庁舎があった場所だ。

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町内に住む会社員・倉堀康さん(37)。両親と町の職員だった兄を津波で失った。ここに足を運ぶと複雑な思いがすると言う。

倉堀康さん:
献花台の脇が(庁舎の)正面玄関があったところ。役場がここにあったというだけで何もわからない。ここに掲示板も何もないのは痛いよね

津波で多くの職員が犠牲となった大槌町の旧役場庁舎。自然の脅威を物語る庁舎の扱いを巡っては、町を二分する議論が展開された。

2012年、町の検討委員会では…

保存派の住民:
やっぱり目に訴えるものを置かないと人間忘れてしまうんですよ。だからあの庁舎を残して

倉堀康さん(当時29歳):
あの建物は早急に解体してほしい。あそこに行くことすら、もう嫌なので、見たくない

大槌町 平野公三町長(2016年):
私はどこまでも、解体は変わりません

解体を公約に掲げた平野公三氏が町長選に当選してから3年半後の2019年3月、庁舎は全て取り壊された。跡形もなくなってから1年半。この場所を訪れる人は少なくなった。

解体を求めてきた倉堀さんは、それが間違いではなかったと考える一方、町の震災伝承の取り組みが見えて来ない現状を危惧している。

倉堀康さん:
この場所が何の場所なんだろうという感じになってきているんだよ。約10年経つ今になってこそ、無くして終わりじゃないよという時にどうするか

懸念の声は他の町民からも出ている。

佐々木健さんは「庁舎で何があったかの十分な検証が必要だ」として、拙速な解体に反対する住民の1人だった。

佐々木健さん:
物体がないのにイマジネーション、想像することは大人でも子供でも難しいことなのかなという気がするんですね。未来の人たちのために、私たちは何かきちんとしたバトンを渡す必要があると思うんですけど、それがまだ形として見えていない

町では犠牲者を悼む「鎮魂の森」を庁舎跡地とは別の場所に今後整備する方針だが、平野町長も「新たな視点での取り組みが必要」との考えを示している。

大槌町 平野公三町長:
1年、2年でできるものではなく息の長い取り組みだと思いますから。まだ固まっていない部分については、しっかりと説明していくことが必要だと思います。しっかりと震災伝承に取り組んでいきたい

解体望んだ倉堀さん 伝承活動に参加

そうした中、倉堀さんは今、震災の記憶を伝えるためのある活動に参加している。
岩手大学の麦倉哲教授が、心のケアと伝承を目的に続けている遺族への聞き取り活動。倉堀さんは写真や映像を記録する役割を担っている。

この日訪ねたのは竹澤得彦さん(86)とヒメさん(83)の夫婦。当時49歳で知的障害があった長男・康彦さんを津波で亡くした。

倉堀康さん:
私も家族を亡くしてしまって

ヒメさん:
あ、そうなの?津波で?

倉堀康さん:
4人家族が津波で私1人だけなった

ヒメさん:
康彦のことを毎日言わない日はないです。時間になると(通っていた施設から)今帰ってくるかな。朝になると早く起きてとかっていう気持ちは変わりないです

家の中には得彦さんが震災後、手づくりした作品や、1000ピースのジグゾーパズルなどが所狭しと飾られている。娘の勧めで作り始めたという。

岩手大学 麦倉哲教授:
どういう気持ちで作り始めました?

竹澤得彦さん:
自分の持っている悲しいことは忘れるというんだかね。やり出すと熱中してしまうの。やっぱり康彦に見せたいと作って、そっちこっち飾ってね

倉堀康さん:
どうやって震災を乗り越えるかというのは人それぞれ違う。亡くなった人を忘れないということが、すごい印象に残ったと思いました

聞き取りの様子だけでなく解体される庁舎の姿も写真に収めていた倉堀さん。2020年1月には東京で展示会も開いた。

倉堀康さん:
伝える人間が元気じゃなかったら後世に伝えることはできないと。旧役場庁舎は、元気になるには必要ない建物だと思った。一番は震災を忘れないということと、自分の命というものを大事にしてほしい。そこをどうにか伝えられればいいかなと思っています

遺構が無くても伝え続けなければならない。倉堀さんは町の取り組みが進むことを願いながら、自分なりにその課題に向き合い続けている。

(岩手めんこいテレビ)

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