特集です。スタジオには大川内記者です。
【大川内】
私は8月9日、長崎市で開かれた平和祈念式典に特別な思いで舞台に立った合唱団の姿や式典後の原爆資料館の様子を取材してきました。原爆投下から80年の節目の年、そこには様々な思いがありました。
8月9日、長崎市の平和祈念式典冒頭に出演したのは、被爆者の合唱団「ひまわり」。
これまで10回以上、式典で歌声を届けてきましたが、高齢化などを理由に3年前に解散。しかし、被爆80年という節目のことし、再び式典の舞台に立つ決意をしました。
【田崎禎子さん(84)】
「もう二度と戦争はしてほしくない。被爆者をつくらないでほしい。という気持ちで、1人でも多くの人たちに歌声で響かせていきたいと思っています」
朝から大雨だった長崎市内は式典直前に雨がピタッと止み、合唱に合わせて晴れ間が出て最高の舞台が用意されました。
「♪もう二度と作らないで私たち被爆者を」
【田崎禎子さん(84)】
「亡くなった友達、メンバーの人たちのことを考えながら、思いを共にしてという感じで歌いました」
約5分という限られた時間でしたがひまわりのメンバーは、世界へ平和を望む歌声を届けました。
【田崎禎子さん(84)】
「被爆者としての歌は今年で最後っていう感じですけど、平和への思いはずっと続きますので若い人たちと一緒に、また共に平和をめざして一緒に歌っていきたいと思います」
復活した「ひまわり」ですが式典で歌うのは今回が最後と決めています。
平和を訴える歌声が時と世代を越えて受け継がれることを願って。
【大川内・リポート】
「長崎原爆資料館に来ています。8月9日のきょう、館内は無料で公開されていて、国内外から多くの人たちが訪れています」
原爆投下から80年、式典後の館内には、平和と向き合う多くの人の姿がありました。
【大分から】
「僕の知らない、戦争の怖さがよく分かりました」
【大分から(母)】
「ちょうど80年という節目の年でもあったし、子どもも小学校にあがったので、戦争について家族で考えるきっかけになるかなというのもあって来ました」
昨年度、23年ぶりに80万人以上の来場者数を記録した資料館。
長崎市平和推進課は、クルーズ船による観光客の増加や日本被団協のノーベル平和賞受賞など「様々な要因から、関心が高まっているのではないか」としています。
【中国から】
「多くの人たちが家族や友人を失ったのを見て、とても悲惨だった。核兵器の使用が決してあってはならない」
【北海道から】
「核兵器の廃棄というのは、日本が率先してやっぱり進めていかないといけない国だし、国民なんだろうなというふうに思って観てました」
館内では、式典に出席した大使の姿も。イランのペイマン・セアダット駐日大使。
初めて資料館を訪れました。
【イランペイマン・セアダット駐日大使】
「写真を見ると、きのうのことのように感じる。被爆者の痛みや苦しみに気持ちを寄せること。資料館が伝えるそのメッセージを受け止めなければならない」
一方で、原子力を平和利用する権利はあるとして、核開発を続ける姿勢も強調しました。
【イランペイマン・セアダット駐日大使】
「我々は原子力を平和的利用のためだけに開発を続ける。厳格な平和的利用であり、核兵器へと転用しない」
原爆投下から80年という節目の年。様々な思いが交錯する中、長崎には年齢や国を越えて多くの人たちが訪れ、平和の祈りに包まれていました。