熊本県立美術館本館で『生誕100年 山下 清 展』が開催されています。展示作品の中には戦争を描いたものもあります。山下 清は戦争にどんな思いを抱いていたのでしょうか。

『放浪の天才画家』といわれた山下 清。暑い夏は涼しさを求めて北へ。寒い冬は暖かさを求めて南へ。全国各地への放浪は1940年から続きました。

[桜島/染絵 制作年不詳]
その理由として「徴兵検査から逃れるため」と日記に書いています。

戦争が暗い影を落とし始め、色紙や画用紙などの物資が手に入りにくくなり、古い切手やチラシ、包装紙などを材料とするようになります。

[栗/貼絵 1938(昭和13)年]

昭和13年の作品『栗』では、古い切手で栗のイガを立体的に表現しています。

【山下清の言葉】
「戦争というのは『殺しっこをやる』という話を聞いたので、戦争というものは一番こわいもので、一番大事なものは命で、命より大事なものはない。命を取られると死んでしまう。死ぬのは何より一番つらいもので、死んでしまえば楽しみもなければ、苦しみもない。死ぬまでの苦しみが一番つらい。戦争よりつらいものはない」

[観兵式/貼絵1937(昭和12)年]

徴兵検査を逃れた清は安心して家に帰りますが、母親は許してくれず、無理やり徴兵検査に連れて行かれました。結果は不合格で、清は戦争に行かずに済みました。

[高射砲/貼絵 1938(昭和13)年]

【山下清の言葉】
「皆、防空ごうへ入るので、空襲の時、サイレンが鳴るし、敵の飛行機がたくさん飛んで来て、高射砲のうつ音もはっきり聞こえるので、その時は冬で、夜、寝てる時おきるので、寒いのをがまんしておきて、防空ごうへ入ります。たまには高射砲のうつ音が聞こえて、僕は驚いてしまう時もあります」

玉名市在住の貼絵作家・荒木 聖憲(みのり)さんです。「山下清の作品で戦争を描いたものは、ほかの作品とタッチが違う」と言います。

[鉄条網/貼絵 1938(昭和13)年]

【貼絵作家 荒木 聖憲さん】
「なんか〈他の絵と比べてタッチが違うな〉と感じましたね。なんかこう激しいというか、戦争の絵だから怖かったんじゃないですかね。やっぱりインパクト(衝撃)がすごかったんでしょうね。山下 清さんにとってはこういう爆発の絵よりも、花火の絵の方が好きなんじゃないかな」

[自分の顔/貼絵 1950(昭和25)年]

「戦争で死ぬのは怖い」「戦争に行きたくない」と口にしていた山下清。戦争に対する恐怖心が放浪へと駆り立てたといわれています

熊本県立美術館本館で開催中の『生誕100年 山下 清 展 百年目の大回想』は、8月31日(日)までです。

テレビ熊本
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