2児の母「ママは護衛艦の艦長です」
日本の安全を守る護衛艦の艦長を経験した、ある女性自衛官に話を伺った。
小野小百合1等海佐、43歳。1999年に海上自衛隊に入隊し、2018年に最年少で護衛艦の艦長に就任。この日の取材は新型コロナウィルス感染に配慮しながら海上自衛隊の横須賀基地で行った。
私自身、産後6カ月で職場復帰し、この10月でちょうど1年となる。振り返ると、仕事と育児の体力的、精神的バランスを取ることに奮闘し、さまざまな葛藤があり、またその一つ一つに一喜一憂する日々を送っている。

2人のお子さんを産み育てながら、艦長を務め上げた小野さん。女性が少ない職場で、育児に割ける時間もごく限られたものだろう。一体どのような思いで働いているのか、自衛隊での仕事について、家族への想いについて話を伺った。
取材当日、かつて小野さんも乗艦していた護衛艦「てるづき」を案内してもらうと、そこには横須賀市から川崎市まで飛ばすことができるという127ミリ砲やミサイル発射装置、魚雷発射管、ヘリ格納庫などがところ狭しと並んでいる。こうした装備を駆使し日々の任務にあたっていると言う。

「昔は船酔いもすごく・・・」
ーー人の為に働きたいという思いで入隊されたそうですが、当初不安はなかったのでしょうか?
小野小百合さん:
私、結婚できるのかなとか(笑)子ども産めるかなって、やっぱり若いときは将来がよく見えなかったので、そういった意味でやっていけるかなと思っていました。船の勤務についても、船に憧れていたというのは全然なくて、船酔いも昔はひどかったですし、不安のほうが大きかったんです。

ごく普通の悩みもあったという入隊時。しかし、働くにつれ仕事に誇りをもてるように。30歳で、防衛省に勤務する夫と結婚。2人のお子さんに恵まれた。
ーー出産してもなお、船の勤務を希望した理由は何ですか。
小野さん:
私は海が好きなので船に乗っているのも好きですし、昔は不安でしたけどある程度船で経験を積んでからは、船に帰ってきたかったですね。子どもを産んでも、チャンスがあるなら船に戻ってきたいと思っていましたので、上司にも相談していました。そして運良く、1人目を産んで副長(艦長の補佐役で護衛艦ナンバー2)をして、また2人目を産んで、それで護衛艦「やまぎり」で艦長をさせてもらいました。

ーー船の勤務になると、1年程船の近くから離れられないそうですが、どのくらいお子さんに会えるんですか。
小野さん:
船は修理しているとき(約1カ月)は、船は動かないので、近距離であれば自宅に帰れるんですけど、修理していないときの残り11カ月くらいですと年間5、6回くらいですかね。船が動いていると、なかなか会えないですね。

ーーそうなんですね…。では子育てはどうされていたのですか?
小野さん:
船に勤務すると港の近くに住まないといけないので、子どもを育てるのがなかなか難しくて、1人目は主人の実家の広島県に預けまして、主人の親に育ててもらっていました。2人目のときには、長女が保育園に入っていたので、保育園を変えることができなくて、今度は、私の母に東京に出てきてもらって育ててもらい、ほとんど育児は私自身はやってない状況で、親の協力、主人の協力なしではとても育てられなかったと思います。
ーーお子さんたちの反応は?
小野さん:
私、産んですぐ乗ったので、子どもたちは0歳から2歳くらいの時の記憶は残ってないんですね。ただ最後、「やまぎり」の艦長をしたときは、長女が4歳になっていたので情緒不安定になっていて、私の親や保育園の先生にかなり支えてもらったと思います。自衛隊が持っている事業所内保育所に預けていて、自衛隊に対する仕事の理解もあるので心強かったです。
ーー上の娘さんから、寂しいと言われたりしたんですか?
小野さん:
実は娘は、寂しいと私には言ったことがなくて。船ってWi-Fiが環境があり、1日何通かメールができるので、私の方から「元気?」と送ると、娘からの返事は、いつも「お仕事頑張ってね」だったので、全然寂しくないのかなと思っていたんです。しかし艦長を終えて聞いたら、やっぱりすごく寂しがっていたと聞いて我慢させていたんだなと、とても切なくなりました。
「あなたのために船を諦めた」と言いたくなかった
ーー胸が締め付けられますね。仕事と子育て、葛藤はありますか?
小野さん:
私、船が好きなので、娘にいつか、お母さんあなたのために船を諦めたからって言いたくなかったんですよ。それが一番大きくて。私がもし子どもだったら、親が自分のために夢を諦めたって言われたくないだろうなと思っていて、だから私はこの子に寂しい思いはさせたけど、お母さんは自分の夢とか、やりたいことを諦めずに来たからって、あなたもやりなさいって言ってあげたいなと思って。なのでとても寂しい思いをさせたかもしれないですけど、あとで私は後悔することはないなって。彼女にあなたのせいだって思わせることもなく、私はやりたい時期にやりたいことをやらせてもらったと、ありがとうという気持ちです。
ーーいつか伝わるでしょうね。
小野さん:
彼女がいつか仕事を持って働くときにそういうことを感じてもらって、自分のやりたいこととかチャレンジしてもらえたらいいなって思っています

ーー女性の艦長、増えてきたとはいえ、まだまだ珍しい存在ですよね?
小野さん:
私自身は女性だから気負うとか、そういうのはなくって、たまたま次に来た艦長が女性だった、くらいで思ってもらえたらなと。一方で、乗っている皆がとっても大事な存在だと、子どもを持って実感として分かるようになりましたね。みんな大切な誰かのお父さん、お母さん、お子さんなんだって。
そうした思いでリーダーを務めているからか、取材中、小野さんが艦長をつとめた護衛艦「やまぎり」から手を振って小野さんに合図を送る多くの乗組員の姿があった。上意下達の厳しい環境の中でも、とても慕われているようだ。
小野さん:
いつも同じ船、いつも同じメンバー、はないんですけど、昔一緒に働いたよね、って声をかけてもらったりするときが一番嬉しいです。そういった意味で女性って覚えてもらいやすいので得だと思います。

いまだに夢を見ることも
ーー艦長という仕事に対してプレッシャーを感じたことは?
小野さん:
実際に艦長の仕事をしている時はプレッシャーを自覚していなかったんですが、夜自分の家で寝ていても出航中の夢を見て、私あれはうまくいっていたはずなのに、なんでこんな失敗しているんだろうと思うと、あっ、夢だった、とか。船を下りて2年になりますけど、まだ夢に見る日があるくらい、それだけあのとき私プレッシャーだったんだなって。すごく重たかったんだなと感じますね。
2008年に配置制限が撤廃され、女性も乗れるようになった護衛艦。女性が船に乗っていることが当たり前になった、ということが一番変わった事だと話す小野さん。一方で、2020年3月末現在、海上自衛隊における女性自衛官の割合は約7.4%にとどまっている。
小野さん:
私たち女性自衛官は男性の数合わせでもないですし、まったく男性と同じように働かなければならない、そういったものでもなくて、やはり女性個人個人の能力をしっかり開いて、能力を発揮できるような社会になっていくことが理想なんだろうなと思っています。
再び船に乗るチャンスがあれば、ぜひ勤務したいと話す小野さん。現在は、海上幕僚監部の人事教育部で学校班長として、次代を担う隊員の教育を統括している。
「お母さんあなたのために船を諦めたからって言いたくなかった。」という言葉、胸にジンときた。子どもには「ごめんね」ではなく、「ありがとう」の気持ちをたくさん伝えたい。
【執筆:フジテレビアナウンサー 生野陽子】