新潟県村上市に10歳の時に広島で被爆した女性がいる。当時の恐怖、そして戦後も被爆の影響を受けた経験から訴えるのは、平和の脆弱さだ。

10歳で被爆した女性「太陽が5つも6つもいっぺんに出たような明かり」

世界各地で戦争や紛争が絶えない中で迎えた戦後80年。

「結局、戦争は“自分が自分が”というような感じで、少しでも自分の国をよくしたいとか、食べるものがほしいとか。欲が欲を呼んで戦争というものがあるのではないかと思う」

本間文紀子さん
本間文紀子さん
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戦争への思いを静かに語るのは、村上市の本間文紀子さん(90)だ。

愛媛県松山市の裕福な家庭に生まれた本間さん。父親の仕事に合わせ、広島市に引っ越したのは終戦の前年のことだった。

10歳だった1945年8月6日の朝の記憶について本間さんは口を開いた。

「すごくお天気が良くて、雲一つない青空できれいな気持ちいい朝。『こんな朝珍しいね』というくらいきれいな朝だった」

本間さんの自宅や通っていた古田国民学校は広島市の西部にあり、爆心地からは約4km。

本間さんの両親は、子どもたちを学童疎開には行かせない分、少しでも田舎の方にと、広島市の郊外での暮らしを選んだ。

原爆投下の午前8時15分は、ちょうど学校の教室に着いたころだったという。

「授業道具をかばんから出して、引き出しに入れるか入れないかで炸裂した。本当にあっという間。太陽が5つも6つもいっぺんに出たような、ものすごく明るい、見たことのない明かり」

原爆による爆風を浴びた本間さん。

「気がついたら防空頭巾を反対にかぶって倒れていた。教室を見たら、もう誰もいない。景色は今までと全然変わって、ガラスというガラスが桟ごと吹っ飛んじゃって、景色がすべて変わった」

原爆投下後も続いた恐怖の日々…終戦迎えた時には「ホッとした」

ガラスの破片の上を裸足で走り、家族と合流すると、父親は大けがをしていた。

「どうなっているのかと思うくらい、体中血みどろになって帰ってきた」

爆心地の近くに住んでいた叔母は即死。いとこも命を奪われた。そして、原爆投下後も“ある噂”によって恐怖の日々が続いたという。

「今度は水素爆弾を落とす。それは原爆よりもっとひどいんだ、動いたまま凍りついて死んでしまうんだとか、色んな噂があった」

終戦の8月15日まで恐怖から生きた心地がしなかったと話す本間さん。

終戦が告げられた時は、「戦争がなくなった。これで毎日怖い思いをしなくていいとホッとした」と振り返る。

二十歳のころ体調に異変…重度の貧血・偏見から「子どもは産めない」

それから10年が経った二十歳のころ、本間さんは体調に異変を感じるようになった。

「貧血を起こしてしまう。なんともなくて動いていて、急に目の前が暗くなり、フラフラと予兆もなく倒れてしまう」

重度の貧血で、医師からは「命と引き換えだから、結婚しても子どもは産めないよ」と告げられた。

貧血に加え、当時は被爆者の結婚や出産への偏見が根強く、本間さん自身も「子どもはつくらないほうがいい」と考え、それらを諦めることを自身に課した。

菓子店営む男性と結婚「子どもが来ると自分の子のような気がして」

しかし、40歳を過ぎて初めて足を運んだ村上市で、夫となる孝平さんに出会う。

村上市で孝平さんが営んでいた『昔のお菓子ほんま屋』。本間さんは「あのお菓子は、ほかの誰にも作ることのできない素晴らしいお菓子だった」と話すほど、そのお菓子にほれ込んだ。

『ほんま屋』の店頭に立つ本間さん(2005年)
『ほんま屋』の店頭に立つ本間さん(2005年)

20年前の店の様子を残す映像では、店頭に立つ本間さんがインタビューに答えている。

「3歳くらいの子が『かりんとうください』と店に入ってくる。小さい子どもが食べてくださるのが一番うれしい」

孝平さんが亡くなり、店を閉めて約20年。当時の言葉について聞くと、本間さんからはそこに込められていた思いが聞かれた。

「私、子どもが産めなかったから、子どもが来ると自分の子のような気がして、かわいくて相手にしていた」

子どもたちへ原爆の恐ろしさ伝える活動も「平和は過ぎて初めて気付く」

被爆の影響を受けながらも、村上市で暮らして以降は「夫のお菓子を有名にしたい」と希望に燃える日々を送っていた本間さん。

子どもたちへ原爆の恐ろしさを伝える本間さん(提供:村上市立小川小学校)
子どもたちへ原爆の恐ろしさを伝える本間さん(提供:村上市立小川小学校)

近年は、地元の小学生などに向けて原爆の恐ろしさを語る活動も行ってきた。

「何事も、そのときは無我夢中で分からない。過ぎてみて初めて『あのときは大変、あのときは平和だったんだ』と分かる」

「あのときは平和だった」今を生きる私たちがのちにそう思うことがないように…本間さんの背負う重い記憶が訴えている。

(NST新潟総合テレビ)

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