終戦から80年の節目を迎えた15日、日本武道館では天皇・皇后両陛下が出席され全国戦没者追悼式が行われました。
石破首相:
戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を今、改めて深く胸に刻まねばなりません。
“反省”という言葉が首相の式辞に盛り込まれるのは、野田首相以来13年ぶりです。
そして正午…、時報に合わせ参列者が黙とう。
このあと、天皇陛下が「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たちみんなで心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います」とおことばを述べられました。
2025年、参列の意向を示した遺族は3400人余り。
そのうち戦後生まれが53%に上り、初めて半数を超えました。
遺族の高齢化が進む中、記憶をつなぐことが大きな課題となっています。
参列した志村高子さん(63):
続けていくことに意味があると思いますので、今年も3人で来られたことはうれしく思います。
2024年に続き親子3代で参列した志村さん家族。
語り継ぐべき戦争の記憶があるといいます。
都内の自宅で出迎えてくれたのは志村さんの93歳になる母・俊子さん。
戦地から届いた手紙について話してくれました。
「お父さんは大元気ですから」と書かれた手紙の送り主は俊子さんの父・市丸利之助さん。
戦争末期の激戦地・硫黄島で海軍の司令官として指揮を執っていた市丸さん。
壮絶な地上戦が行われた硫黄島から、当時のアメリカ・ルーズベルト大統領に宛て手紙を書いた後、戦死したことで知られています。
死が迫る中、敵国の大統領に“世界を強国が独占しようとすれば、永久に争いを繰り返し世界に平和は訪れないだろう”などとしたためた市丸さん。
この手紙を英訳させると、最後の突撃へと出撃する兵士に託しました。
兵士は戦死。
手紙はアメリカ軍の手に渡りました。
すると、当時の日本が置かれた状況を伝えるものとしてアメリカ国内で大きく報道されたのです。
現在も現地の博物館で保管されています。
父の意思を継ぎ、俊子さんは戦後、戦争を繰り返してはならないと硫黄島遺族会を立ち上げ平和の必要性を訴えてきました。
その思いは今、親子4世代に引き継がれています。
利之助さんの孫・志村高子さん:
娘孫たちにも伝えながら、戦争を繰り返さないようにと改めて思う。