岩手県釜石市には唐丹(とうに)と花露辺(けろべ)という珍しい読み方の地名がある。どのような由来があるのかを探ります。
釜石市南部に位置する唐丹。リアス式海岸特有の入り組んだ地形が特徴的です。
長年にわたり県内各地の地名について調査している宍戸敦さんによると、唐丹の由来は2つ考えられているといいます。
宍戸敦さん
「一つは地形によるもの。三方が険しい山に囲まれた場所が唐丹。唐丹の地域にくるには、どの道を通るにも峠を必ず通ってこないと来られないということから、峠のたわみ(タワミ)の根(ネ)の部分、それが唐丹(トウニ)になったというのが一つの説」
もう一つの説について宍戸さんは、「唐(トウ・から)という字は、沿岸部なので異国の色々な船がやってくる。そういうことから、外国との交流というものを意味して唐(トウ・から)という字が入ったのではないかと考えられる」と説明します。
江戸時代、海外との交流があった唐丹地域は、文化や学問が発展していたと言われています。
このような環境で生まれ育ったのが、唐丹出身(現:釜石市)の天文学者・葛西昌丕です。
国学など様々な学問に精通していた葛西昌丕は、江戸時代に正確な日本地図を作ったことで知られる伊能忠敬と関わりがあったと伝えられています。
釜石市文化財保護審議会 藤原信孝会長
「ここ唐丹は当時は“気仙郡”の“唐丹村”と称したそうです。伊能忠敬が日本の地図を作ったと知られていますが、伊能忠敬が唐丹を測量に来たときに葛西昌丕はその事業を理解できた人。この地点が北緯39度12分で今の測量の結果と一致する。そういった測量の結果を出したということで、葛西昌丕は何か記念にと作ったのが、ここにある“星座石(唐丹の測量の結果を記した碑)”と地元で呼んでいるもの」
この「星座石」には、伊能忠敬がこの地を測量した結果である「北緯39度12分」の数字が刻まれています。
また、隣にある「陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」は、星座石と同様に測量を記念し葛西昌丕が立てた石碑です。
釜石市文化財保護審議会 藤原信孝会長
「葛西昌丕は江戸時代の大飢饉の際、峠に道を作る公共事業を興した。村の人たちにその手間賃を払うことによって働いた人たちも潤う、なおかつ新しい道もできる。そういった事業もやっていた人」
さらに、この唐丹地域には変わった読み方の地名がまだあります。それが「花露辺(けろべ)」です。
花露辺という地名の由来に関係すると伝わる人物がいたそうです。
釜石市文化財保護審議会 委員 河東直江さん
「この花露辺は、“ケロリさん”という外国人がこの花露辺の地に来て住んでいたという伝承がある。花露辺の沖で外国船が難破、乗っていたケロリさんがこの地に漂着した」
難破した外国船に乗っていたケロリは、この地に漂着し移住。
人格者で知識も深く人々から大変慕われていたと伝えられています。
釜石市文化財保護審議会 委員 河東直江さん
「この地域のケロリさんを慕う人たちがケロリさんの形をした石像を作った。それがそのお宮の脇の方にある」
「石像が作られるくらいケロリさんは人望があった。この“ケロリ”という名前が、“ケロべ”という地名と似たような感じ。だから一説によるとケロリのために作った地名がケロベ(花露辺)なんだという説もある」
釜石市の「唐丹(とうに)」そして「花露辺(けろべ)」という地名は、かつての海外の渡航者との交流を今に伝えています。