8月6日の広島、9日の長崎、そして15日の終戦記念日と、厳粛な気持ちになる日が続く。特に80年の節目となると、しっかりと受け止めざるを得ない。
間に入る12日、日航機墜落事故は発生から40年となる。学生時代に事故があり、連日このニュース一色になったのを思い出す。自分が今の仕事を選ぶ一つのきっかけになったのは間違いない。
毎年のニュースは目にしていたが、事故現場には行ったことがなく、行くべきだと思うに至った。現場への道のりは車しかないとのことで、連休初日の渋滞をかいくぐって行ってみた。
御巣鷹の尾根登山口へ
群馬・下仁田インターチェンジを降りて、事故現場の御巣鷹の尾根の登山口に向かう一般道を進むと、通行を妨げる表示が目に飛び込んできた。

なんでも11日の8時から17時までと12日7時から17時までは通行止めとなり、夜間は施錠するとのこと。
「神聖」な場所の「厳粛」であるべき時期なので致し方あるまい。この日は、規制のない日だったので、そのまま道を進んだ。

通行規制を知らせる看板から10分ほど車を走らせると、トンネルが現れる。特にダム沿いのトンネルは照明の数が少ない。この道が特別な場所に続く道であることを再認識させられる。6~7本のトンネルを抜けると、道が狭くなり落石があることを告げる表示が増えてくる。
登山口には数台なら駐車できるスペースがあると聞いていたが、遠路はるばる来た遺族の慰霊登山の邪魔になってはいけないと思い、通行の邪魔にならない空きスペースに車を止め、登山口まで数km歩いて登ることにした。

登山口に向かう舗装道は沢沿いに作られていた。標高が高く、木々に覆われており、暑さはそれほど気にならなかった。時折涼しげな流れに耳のを傾けた。ただ豪雨となれば沢に大量の水が流れ込む。土砂崩れを防ぐために土嚢が数カ所積まれていた。途中、野生のシカと出くわしたが、こちらの姿に驚いてガードレールを越え、森に消えた。
「御巣鷹の尾根」の標識から30分ほど歩いたところで、仏像のある場所に着いた。石版には事故から2年後の地元村長の祈りの言葉が刻まれていた。車数台の駐車するスペースにトイレも設置され、「参拝道登山口」との表示もある。赤いコーンが設置されていたが立ち入り禁止の表示はない。ここからだと思い道を進んだ。

この登山道も豪雨の影響を受けていた。沢と道を隔てる柵が流されていたほか、倒木が道をふさいでいる箇所もあった。「やすらぎの滝」や「みかえり峠」があったが、沢沿いの登山道の管理の難しさを感じた。
遺族の思いと「空の安全」への祈り
さらに上ったところで車とバイクが駐車してあった。12日に備えてか、既にテントが張られ、仮設トイレも設置されていた。

ここには登山杖に加え、傘も多数準備してある。ここが「本当の登山口」になるようだが、すぐ横には土砂崩れを防ぐ土嚢が多数積まれていた。

登山道にはクマ除けの鐘が一定距離ごとに設置されていた。「すげの沢のささやき」や「かぶり岩」を抜けて、御巣鷹の尾根に着いた。
ご遺体が見つかった区画は細かく分けられており、遺族はその場所に思い思いの墓を建立し、故人に向けたメッセージを残していた。そして「空の安全」を祈っていた。

この日は、数十人が慰霊登山に来ていた。お年寄りもいれば子連れの人、外国人の姿もあった。花束を背負った人ともすれ違ったが、「こんにちは」の一言を惜しむ人はいなかった。
(フジテレビ 森安豊一)