特集「シリーズ戦後80年」です。
8月15日には80回目の終戦の日を迎える中、今回は料理にスポットをあてます。
鹿児島県薩摩川内市にある老舗ドライブインの名物「ホルモン定食」です。
ほとんどのお客さんが注文する人気メニューなんですが、実は誕生のウラに戦争が関わっていました。
知られざる誕生秘話を坪内キャスターが取材しました。
坪内一樹キャスター
「お昼時、本当に多くの車が停まっています。こちらがその料理がありますドライブイン、食堂です」
薩摩川内市の国道3号線沿いにある十本松ドライブイン。
昭和レトロなたたずまいが目を引きます。
お昼どき、にぎわう店内。
訪れたお客さんに何を注文したのか聞いてみると…
Q.何を注文しましたか?
客
「ホルモン定食。ここに来たら大体、頼んだりする」
「ちゃんぽん入りホルモン。有名ですね。おいしいですよ」
さらに!
坪内キャスター
「東京から!?」
仕事で東京から訪れ初めて来店したというこちらのグループも…
東京から初めて来店
「味噌ホルモン。地元の方に『この辺でおすすめは』と聞いたら、『ぜひこちらで』ということで」
このように大人気のホルモン定食。
お店によると何と客の9割以上が注文するそうです。
まさにお店の看板メニュー。
それがこちら!
アツアツの鉄鍋のなかに豚のホルモンと野菜、そしてチャンポンが入った「チャンポン入りホルモン定食」です。
坪内キャスター
「甘めのみそとホルモンの食感がたまりません。これはぜったいご飯に合う」
ホルモンは国産ホルモン。
野菜も一緒に投入され、自家製の味噌でつくった秘伝のタレをかけて、じっくりと火を通していきます。
そして、最後にチャンポンを入れて完成です。
もともと麺は入っていませんでしたが、お客さんのリクエストで入れるようになったそう。
坪内キャスター
「味噌の味付けも独特。甘すぎず、すっきりした味わい」
昭和40年(1965年)、今から60年前の創業と同時に提供され多くの人を引きつけるホルモン定食。
実は80年前の戦争にルーツがありました。
誕生のきっかけを女将さんはこう話しました。
十本松ドライブイン 女将・杉元悦子さん
「主人の父が戦争で料理当番だった。上官が『何か元気の出る(料理を)。元気が出らん』と言ったのでホルモンを作った。そうしたら『おいしかー。元気が出た』と上官が言ったという話を聞いた」
女将さんの義理の父で十本松ドライブインの初代、杉元栄さん。
太平洋戦争で徴兵された栄さんはもともと料理が好きで、戦地では炊事担当でした。
中国に送られた栄さんは戦況も激しくなるなか、上官にこう言われたそうです。
「兵隊たちが元気が出るものを作ってくれ」
この一言で生まれたのが今につながるホルモン料理だったのです。
栄さんの孫で現在、3代目として厨房に立つ一拓さんも祖父の言葉を聞いていました。
十本松ドライブイン 3代目・杉元一拓さん
「けっこうみんなぐったりしてたが、食べた途端に笑って笑顔になったと聞いた」
まさに戦地で生まれたともいえる十本松ドライブインのホルモン料理です。
とはいえ、今でこそ一般的なホルモン料理ですが、戦前から食べてはいたんでしょうか?
調理師などの専門学校で講師を務める池本弘乃さんに話を聞きました。
今村学園ライセンスアカデミー 管理栄養士・池本弘乃さん
「戦前、戦後は朝鮮では食べられていた。北九州の炭鉱に働きに来た朝鮮の方々がそういう料理を作ったのが発祥」
このように池本さんはホルモンは戦前にはすでに日本に伝わっていたと話します。
日置市出身の池本さんは兄から聞いたという食糧難に苦しむ兵隊たちの話も語ってくれました。
池本さん
「私の家の裏に小さい山があってそこに日本兵が待機していた。その人たちが大変ひもじい思いをしていた。裏の入口から日本兵が来て『何か食べさせてくれ』。あの辺は野ウサギとかキジとかいれば必ず取って内臓も食べたと思う。とにかく食べるものがない」
厳しい戦時下で栄さんが考案したホルモン料理。
今も多くの人に愛されています。
50年以上この店で働く悦子さんもその歴史を感じるといいます。
杉元悦子さん
「このホルモンを食べに来た思い出はそれぞれの家族にある。遺影を持ってきて、奥さんと息子夫婦で『主人がよく食べたんですよ』という思い出とか昔の人の話を聞くと涙が出てくる。みんなが愛してくださる味」
そして、その味を受け継いだ一拓さん。
あらためてこんな思いも口にしました。
杉元一拓さん
「ホルモン料理が生まれたのは戦時中だが、平和な時に皆さんに元気になる料理を出したい」
兵隊達の元気がでるようにと生まれた料理は、今も多くの人々に愛されています。
平和な時代が続くからこそ楽しめる味。
戦後80年、平和の大切さ、あらためて見つめてみませんか。