戦後80年を迎え、鳥取県米子市に残る資料や写真、絵画などを通じて戦争の記憶を伝える企画展が開かれています。
戦時中に送られた「召集令状」、いわゆる“赤紙”。
1937年に日中戦争が始まると、兵士を確保するため、“赤紙”による動員、臨時召集が行われるようになりました。
また、兵士の戦死を伝える電報は、連隊長の名で戦死者の父あてに打たれました。
米子市美術館で開かれている企画展『戦後80年 未来へ伝える昭和の戦争』。
太平洋戦争の終結から80年の節目を迎え、戦争の惨禍を未来を担う世代に伝えようと、米子市の山陰歴史館、米子市美術館、埋蔵文化財センターの3つの施設が共同で企画しました。
会場には、それぞれが所蔵する写真や絵画、発掘品などの資料、合わせて219点が展示されています。
1944年ごろに、県立米子高等女学校で行われた射撃訓練の様子です。
戦局がますます不利となるなか、軍は「国民総決起」をうたい、女学校でも軍事訓練が行われました。
また、伯耆町出身の画家・香田勝太が、1945年に描いた作品。
焼け野原となった東京の姿です。
米子市美術館・喜多村聡史副館長:
歴史資料、考古資料、美術資料を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さを改めて感じていただけたらと思っています。
戦争体験者が年々少なくなるなか、様々な資料が語る戦争の記憶を後世にどのように引き継いでいくか、企画展は改めて考えるきっかけになりそうです。
この企画展は8月24日まで、米子市美術館で開かれています。