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戦後80年の節目となる今年、広島の原爆で傷ついたピアノが富山県高岡市に持ち込まれた。「原爆の被害から残ったピアノを弾いていたら涙が…すみません言葉にできなくて」。コンサートに参加した市民の言葉が、このピアノが持つ特別な力を物語っている。

傷跡を残したまま奏でる平和の調べ

高岡市で開催された「被ばくピアノ 平和コンサート」。主役となったのは1945年、広島の爆心地からおよそ3キロの住宅にあった傷だらけのピアノである。このピアノは、広島に投下された原子爆弾で傷つき、その後修復されたものだ。コンサートでは、地元の演奏者たちがこのピアノを通して平和への思いを音色に変えた。

このピアノを全国各地へと運ぶのは、広島市の調律師、矢川光則さん(73)。矢川さんは戦後、持ち主から託された7台の被ばくピアノを修復・管理し、2001年から全国で3500回以上ものコンサートを開いてきた。

「ピアノは人間のように物は言わないが音がでて音楽で伝えていく事ができる。だから通常のピアノでやる平和コンサートとは違って被災したピアノで奏でるということは皆さんに思いをはせてもらいやすい」と矢川さんは語る。

市民の手で広がる平和のメッセージ

今回のコンサートは高岡の市民団体が企画したもので、演奏者も地元の人々が担当した。鈴木佳子さんと一翔さん親子は「希望ノオト」を演奏。「世界を回ったり、いろんな人の気持ちを継いでいるピアノを弾くことができてとてもいい機会でした」と感想を述べた。

また、「主よ人の望みの喜びよ」を演奏した茶木紀依子さんは、曲を選んだ理由について言葉に詰まりながら「世界平和の願いをこめられると思ってこの曲を選びました」と涙ながらに語った。

コンサートの合間には、来場者が自由に被ばくピアノに触れる時間も設けられた。「きれいな音でとる」「すごい」「震えとった」など、ピアノに触れた人々からは様々な反応が聞かれた。

消えゆく戦争体験と「被ばくピアノ」の使命

矢川さんは戦後80年を迎えた今、被爆者や戦争体験者が減少していく現実を危惧している。「被爆者も戦争体験者も、もう80年ですから、もういなくなってくる。90年たった時にいるかというともういないと思うんですよ。だからそこら辺がみんな危機感を持って被ばくピアノの貸し出しも多いんじゃないか」と語る。

そして「被ばくピアノは平和だけでなく、人間の命の愛おしさ、そういうことも伝えている」と、このピアノが持つ意義を強調した。

今年は全国300会場で被ばくピアノのコンサートが予定されており、9月15日には富山市での公演も開催される予定だ。

傷を抱えながらも美しい音色を奏でる「被ばくピアノ」。その音は単なる演奏ではなく、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える貴重なメッセンジャーとなっている。

富山テレビ
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