299人が犠牲になった長崎大水害から7月23日で43年です。
当時、家屋は被害を受けたものの、1人の人命も失わなかった集落がありました。
その地域の防災意識は江戸時代からの風習に根ざしたものでした。
長崎市の南東部、太田尾町の山川河内地区、三方を山に囲まれた約30戸の集落です。
1860年、江戸時代の万延元年に土砂災害で33人が亡くなったことから防災意識が高い地域です。
1982年(昭和57年)の長崎大水害では家屋2戸が水に流され、4棟が土石流に襲われたものの、住民は事前に避難し1人のけが人も出ませんでした。
防災に詳しい長崎大学 高橋和雄 名誉教授
「ここはもう、ある意味じゃ災害を自分事化する」「それができとるところなんですよね、そこが一番ここのいいとこやないかと思ってるんです」
江戸時代の水害で犠牲になった牛や馬を供養するため、崩れた沢筋に建てられた祠「馬頭観音」です。
独特のお経が唱えられ、地域の人たちが見守ります。
ほこらには饅頭が供えられています。
この風習は江戸時代の土砂災害で捜索を打ち切ったあと、供養で出された名残だそうで、2018年前まで「念仏講饅頭」として毎月、月命日の14日に各家庭に配られていました。
いまは1年に一度、災害を忘れないようにと馬頭観音に供えた饅頭をれぞれ各家庭に持ち帰ります。
藤川義信さん
「どうかこれから先も自治会の無事をよろしくお願いいたします。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
「(地域が)水害から逃れられるように念じました」「(7.23水害のときは)「あそこらへんの壁がはげてますけど、全部畳は替えました。床上10センチくらいは水が来た」「上から下ってきた土砂で、雨戸を閉めてなかったから、ガラスでそのまましてたもんで、たたき割って入ってる。(雨戸を閉めておけば)浸からなかったんですけど」
実は、特別な意識もないまま続けられてきたという念仏講饅頭の取り組み、2024年、国が作った「NIPPON防災資産」に認定されています。
高橋和雄 名誉教授
「自分たちは何もしてないけど、続けてきた祖先が偉いと言ってたのが、まさにその通りだと思う」
山川河内地区でも高齢化は喫緊の課題です。
専門家は防災意識を高めるため、自治会とは別に自主防災組織の結成や、他の地域との連携なども考えるべきと指摘しています。