東日本大震災で子供3人を亡くした宮城県石巻市の夫妻が、家族5人揃った絵の制作を画家に依頼しました。
絵で帰ってきた子供たちを前に、夫妻はこれからも生き抜く決意を新たにしました。
2025年1月。愛知県田原市の画家・小林憲明さん(51)が、石巻市で被災した夫妻のもとを訪れていました。
今野浩行さん・ひとみさん夫妻です。東日本大震災発生当時、甚大な津波被害を受けた石巻市大川地区で暮らしていて、我が身よりも大切な3人の子供を亡くしました。
今野さん夫妻は小林さんにどうしても描いてもらいたい絵がありました。
今野ひとみさん
「うちのお父さんも家族写真に写ってないのが多いので、どうしても小林さんにはうちの主人入れて、どうしてもみんなで5人の絵を描いていただきたいなって」
浩行さんがいつも撮影役だったため、家族5人揃った写真がないのです。
小林さんは「ダキシメルオモイ」というプロジェクトを立ち上げ、大切な人を亡くした全国の家族を訪ね、絵を描いてきました。
訪ねた家族の数は既に500に上ります。
きっかけは、東日本大震災の被災地を訪れ、我が子を失った親の思いを聞いたことでした。
小林憲明さん
「もう抱きしめられない子供親の思いを絵から伝えてほしいということで」
今野さん夫妻のもとを訪れた翌日。小林さんは大川地区を回っていました。
かつて自宅があった場所。長女・麻里さんと次女・理加さんは、ここで津波に巻き込まれました。
実際に訪れると自然豊かな場所で、あたたかい家庭が築かれたことも知りました。
小林憲明さん
「山と川に育てられるってよく聞くんですけど、この山が育んでくれてる感じがして」
次に訪れたのは、長男・大輔さんが亡くなった大川小学校。
事前の避難計画が不十分だったために、児童と教職員あわせて84人が死亡・または行方不明となりました。
浩行さんは大川小学校をめぐる裁判で原告団長を務めました。
せめて次の命を守る教訓にという浩行さんたちの思いは届き、学校の避難想定や訓練が不十分だったという訴えは認められました。
小林憲明さん
「あそこまで行けてれば」
今野浩行さん
「せめて途中まで行けてれば様子が見えるから、そこからさらに避難できる」
やり切れない思いが、残り続けていることを知りました。
小林憲明さん
「ちょっとまだ言葉にできないですね。整理がつかないというか。より丁寧にやって向き合っていきたいなって。流れも感じての1枚にしたい。」
末っ子の大輔さんを真ん中に。その両隣に麻里さんと理加さんがいる構図にしました。
小林憲明さん
「絵を見たら戻れるというか、そういう1枚だったらとてもうれしいかなって。子供たちが今の自分たちと一緒にいてくれてるって。絵で形になればちょっと心が楽になってくれるんじゃないかって。」
全体のバランスを見返しながら、試行錯誤を繰り返します。
小林憲明さん
「そうですね、表情だったり、うーん、ぐるぐるやりながらベストのところをあれですね…」
完成した絵を届ける日がきました。
今野浩行さん
「いいね、子供たちが手をかけてくれてね。」
家族5人揃って優しい笑顔を浮かべています。
今野ひとみさん
「夫は一緒に写ったことないんですよね。家族写真で。だからその中で笑っている姿を何か残したかった。温かかった家族なので、そういう温かさを残したいなと思って」
今野浩行さん
「3人に対しての思いはずっと言ってるけど後悔しかなくて、死んだら終わりだって。ただこういう形でこの家に帰ってきてくれたようなそういう風な感じはある。平凡に暮らしていきたいと思う反面、震災を経験して、災害で子供の命が失われるというのはすごく悲しいことだと実感したし、語り部もそうだしそういうことを少しずつやっていこうかと」
小林さんはこれからも家族の絵を描き続けます。
小林憲明さん
「もう体2つぐらい欲しいですけどね。1つしかないので動けるだけ動いて。思いをつないでいくというか伝えていく」
今野さん夫妻は語り部を続けています。
今野ひとみさん
「みんなの命はみんなで守る。ひとりひとり守るのではなくてみんなで守らないと防災にはならない。自分だけが分かってるからいいやではなくて、みんなに伝えていかないと」
きっと、見守ってくれている。これからも生き抜こうとする両親の姿をー。