戦後80年、記憶の継承が切実な課題となる中、当時を知る総社市の女性が100歳の誕生日を迎えました。戦時中、看護師として多くの命を支えた女性が当時の記憶を語りました。

(小池多美子さん)
「小池多美子です。ちょうど100歳になりました」

総社市の小池多美子さん。1925年6月29日生まれで、100歳の誕生日を迎えました。30日は、入居する施設に総社市の片岡聡一市長がお祝いに訪れました。

(小池多美子さん)
「若いころは看護師をしていて患者にいろいろとしてきた」

総社市で生まれ育った小池さんは戦時中の17歳の時、倉敷市の倉敷中央病院で看護師として働き始めました。

1945年6月22日の水島空襲では自らも被災の危険がありながら、患者を優先して病院に残ったと言います。

(小池多美子さん)
「(空襲から身を守るための)畳一枚をもらったけど、こんなものじゃどうにもならないと何回も覚悟した」

ほかにも、岡山空襲の被災者や広島の被爆者の看護にもあたりました。

(小池多美子さん)
「(被爆した)患者をみると、自分たちも同じような目に遭った気がして大変つらい、怖い思いだった」

戦後80年、戦争体験者が急速に減っていく中、記憶を風化させないよう語り継いでいくことが求められます。

岡山放送
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