FNNでは「戦後80年 いま、平和ですか」と題し、平和の現在地を探るキャンペーンを展開しています。
26日にお伝えするのは、知られざる台湾出身の「特攻隊員」です。
台湾南部の港湾都市・高雄市。
かつて、ここに日本海軍の拠点がありました。
戦争に多くの台湾市民が「日本兵」として参加したことはあまり知られていません。
「ここに爆薬。250kgの爆薬がここにある」と話す陳金村さん(97)は、17歳の時に海軍に志願しました。
太平洋戦争当時、日本の統治下にあった台湾では20万人を超える台湾の市民が日本軍の指揮下に入りました。
元日本兵・陳金村さん:
日本教育だから日本精神を持って、アジアのため、天皇陛下のために。特攻隊に派遣されたら覚悟しなきゃならない。
陳さんの配属先は特攻隊。
爆弾を抱えて戦艦に体当たりする、特攻艇「震洋」の部隊でした。
元日本兵・陳さん:
こんな薄い2、3mmくらいのベニヤ板で作った。(Q.それで本当に特攻できると?)みんなそう思っていたけど、言えないんだよ。
部隊は出撃しないまま終戦を迎え、生き残った陳さんですが、その後は中国本土から来た新たな政権の下、日本兵だったことを隠して生きてきました。
日本政府からは、一部の戦没者らに弔慰金が支給されただけで、陳さんら元日本兵のほとんどに戦後補償はありませんでした。
元日本兵・陳さん:
なんだか日本に見捨てられた気がする。同じ日本海軍、同じ日本の震洋特攻隊よ。日本人は、本国の人は恩給をもらっている。台湾はどうして。日本に相当力を尽くした。日本人として、絶対日本に背いたことはなかった。
元日本兵たちの存在は、日本でも台湾でもほとんど知られていません。
戦後80年。
記憶をつないでいくための時間は限られています。