沖縄戦から80年。戦場となった沖縄で見つかった1本の歯ブラシの柄に記されていたのは、1人の男性の名前だった。

「ありったけの地獄をあつめた」沖縄戦

2025年6月23日の沖縄・慰霊の日。沖縄は、鎮魂と平和の祈りに包まれた。

この記事の画像(10枚)

太平洋戦争末期の1945年3月下旬から慶良間諸島へのアメリカ軍の攻撃によって始まった沖縄戦。沖縄に上陸した米兵は18万3千人。太平洋戦争で最大規模の兵力が小さな島に集中したのだ。

「ありったけの地獄を集めた」と言われた沖縄戦。激しい地上戦によって、一般の住民、日米の兵士、合わせて20万人以上が犠牲になった。

福岡から召集された軍関係者も4000人以上が亡くなっている。そのなかの1人、柳川市の農家で育った新谷正人さん。当時24歳だった。

彫られた“新谷正人”の名前

「召集令状、“赤紙”が届いたのは、ちょうど今くらいの時期で田植えの真っ最中だった。田んぼの真ん中で、赤紙を持って来られた方が『おめでとうございます』と。田んぼで『これで男になれた』とバンザイをしたっていう。私のお袋もその頃、19歳ぐらいで、一緒に田植えしていて、お袋からよくその話を聞かされていました」と語るのは正人さんの甥の新谷一廣さん(70歳)だ。

一廣さんの母で、正人さんの4歳下の妹の徳江さん(99歳)は「優しい兄でした。すぐ、お小遣いをくれてね。酒屋に仕事に行っていて、その稼いだお金を私にくれていた。『いつ帰ってくるんだろう』と…」と思わず涙ぐむ。今でも兄の帰りを待つ気持ちに変わりはない。

しかし、正人さんの帰還は叶わず、その死から60年以上が経った2006年。思わぬものが沖縄で発見されたのだ。

「戦前の軍隊用の歯ブラシなんでしょうね、毛はもう無くなってますけど…」と新谷一廣さんが見せてくれた1本の歯ブラシ。日本軍の壕があった場所で発掘されたものだ。

恐らく本人が彫ったのだろう、柄の部分をよく見ると“新谷正人”の名前が彫られている。

柄に”新谷正人”と彫られた歯ブラシ
柄に”新谷正人”と彫られた歯ブラシ

2006年に沖縄・南風原町で行われた発掘調査で見つかった遺品の数は約5000点。そのなかで持ち主が特定できたのは“正人さんの歯ブラシ”ただひとつだけだったのだ。

確かに生きていたことの「証」

「自分の名前を彫っているというのは、すごいことだなと。新谷正人という自分の名を削ったときの思いというのをなんか感じますよね」と歯ブラシを深い思いで見つめる新谷一廣さん。

「正人の執念というか、思いというか。私に託したことがあるんじゃないかな。平和でなければ、いろんな意味での喜びというは感じられないと思うので、だから私たちも沖縄にも足を運ぶし、沖縄の人たちとも会話をしながら平和について語り合う必要があると思っています」と静かに語った。

「ありったけの地獄」と呼ばれた戦場から見つかった1本の歯ブラシ。80年前、1人の男性が確かに生きていた。発見されて20年が経ったいまでも歯ブラシは、戦争の不条理さを静かに私たちに語りかけている。

(テレビ西日本)

テレビ西日本
テレビ西日本

山口・福岡の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。